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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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もしかして・・・・

SMなんて、ばかばかしいかも・・・・・
と、思う時があるのにやめられないんですよね。。。。

SMよりストーカーの方がスリリングでいいかも。。。。。
それよりも・・・・・・・。。。ふふふふ。。。。。。
マルキ・ド・サドの文学のように、好きな女を暖炉で燃やそうかしら。。。。。
情緒なんかどうでもいいと思う時がある。。
ああ。。女が憎いわ。。
ふふふふ。。。。。

| 鬼縄のつぶやき | 07:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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現実が妄想を打ち消す

結局のところ、私が求めているものは女の羞恥と悶えである。恥辱を与えることによる女の反応が羞恥と悶えを引き起こすかである。そしてそれを表現してくれるかである。それが私の頭の中で繰り広げられている淫靡な妄想と一致するかである。もうこうなるとこの具現は無理である。これを女に求める方が間違っているのである。ただ一人「妄想の女」を除いては。これは彼女にとっては不幸であった。彼女はこれからもずっと私の頭の妄想中で被虐のヒロインを勤め続けさせられるのであるからである。彼女はこれを阻むことは出来ないのである。

官能小説を捨てたのは何故かという一文にもあるように最初は、

柔肌に食い込む縄が見たく、悲鳴や悦楽の声を聞きたく、ほとばしり出る尿のラインが見たく、そして、驚愕や羞恥に歪む顔が見てみたかったのです。
 挿絵も十分に私たちを興奮させてくれるものではあったわけですが、しかし、それは写真や映像、ましてや、生の迫力には遠く及ぶものではありませんでした。見たい、聞きたい、触れたい、そればかりを考えていたのも事実なのです。


しかし実際に生の女とSMプレイをすると自分の妄想とは乖離を始めてしまうのです。この一文も言っているように、現実が妄想を打ち消すからです
当たり前といえば当たり前で、妄想や官能小説のような情景を実際に具現しようとしても妄想と現実の間にはどうしても矛盾が生じてしまうのです。妄想の具現を求めること自体が間違っているのであった。

「妄想の女」は私の妄想を具現しようとプレイをした訳ではない。どちらかというとSMプレイには協力的ではなかった。ただ彼女の反応や表情が私の妄想を刺激してしまうのである。実際のプレイが多くの場合妄想を打ち消してしまうことが多い中で、彼女の反応や表情は、かつての官能小説のように私の妄想を膨らませてくれるものであったのだ。

私は又かつてのように妄想の中に帰ろうと思う。私のSMはやはり妄想の中にあるようである。

| 鬼縄のつぶやき | 11:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私のSMは「妄想」の中

私のSMの元は団鬼六先生の小説である。小説のように美しく、気丈で、性的潔癖さを持っている女を辱め、凌辱することを夢見たのである。しかしこれを具現しようとしても現実には矛盾を孕んでしまう。具現しようとすればどうしても演劇的な表現を相手に求めてしまうのであるが、大抵のM女さんはこれを嫌うし、私の気に入るような表現をするのはなかなか難しいのである。どうしても表現は演技になってしまう傾向がある。もちろんそれでも構わないのであるが「演技」というとますますM女さんには嫌われてしまうのである。厳密に言えば私の言う「表現」は「演技」とは違うのですが。
分かりやすく言えば私の「SM」は、結局のところ「ごっこ」なのです。小学生の時に胸を躍らせながらやった「お姫様ごっこ」や「忍者ごっこ」でワルモノに捕まって縛られるヒロインと大差ないのです。

結局のところ私の「SM」に最も近い表現をしてくれたのは「妄想の女」であった。
彼女は私を喜ばせるように表現をしたのではなく、彼女の無意識でする表現が私の求めるものと一致してしまったのである。だから演技にはならなかった。彼女が意識せずにする表情やしぐさや悶え方が私を喜ばせてしまうのである。彼女にとってはこれが口惜しかったようであるが、口惜しいと思うこと自体私を喜ばせてしまうのである。

彼女は「妄想の女」となった。妄想の女となった故に私は頭の中で自由に彼女を責めることができる。実際には出来ないことも頭の中では自由である。私のSMは「妄想」の中でしか得られないのかもしれない。

| 鬼縄のつぶやき | 04:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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妄想の女

「夢の女」を忘れさせてくれたのが「妄想の女」だった。
「妄想の女」は「夢の女」と別れてからちょうど20年後に現れた女である。「妄想の女」のおかげで私は「夢の女」を乗り越えることが出来た。昔の女を引きずる男というのは、つまりはストーカーのようなもので、何事にも自信が無く、拗ねていてマイナス思考である。まさに鬼六の小説に出てくる男のようで、女に憧れているだけでまともに口もきけない情けない男なのである。
鬼六の小説では、そんな男がひょんなことから憧れの女を縛ることが出来る状況に恵まれる。だいたいは女に好かれてそうなると言うよりは、女の弱みなり、秘密を握って、時には金の力を利用して憧れの女を縛ることになるのだ。鬼六の小説の男はSというよりMの変形ではないのかとさえ思える。まさに私は「夢の女」を20年も引きずって、夢の中だけで女と戯れているような卑屈な男なのだ。こういう拗ねている男というのが、私の好きな性分でもあるのだけれど。だから立派なSは嫌いだし、またそういうSにはなれない私なのである。

そんな私に小説のように、理想とも言える女が現れた。降って湧いたようにである。その肢体は若く美しくしなやかであった。私が妄想し続けた情景をまるで映し出すように、その女は妄想を具現をしてくれる。そればかりでなくその心の機微というか内面までが美しく、しなやかであった。20年前の「夢の女」がなんとも陳腐な記憶に成り下がってしまうような女であった。おかげで私は自信を取り戻し拗ねることから解放されたかのようであった。ひがむことを忘れ、羨むことさえしなくなった。



私は又、「夢の女」と出逢ってしまった。忘れていたあの「夢の女」である。「夢の女」から20年後に現れた、私の愛した女が「妄想の女」となったからだろう。
現実の出来事は妄想となっていく。思い出というにはまだ生々しすぎる。しかし妄想は時と共に確実に夢となっていくのであろう。「夢の女」が再び現れたのはその序章だったのかもしれない。今から20年後に私は「妄想の女」を「夢の女」としているのであろうか。
おかげで私は鬼六の小説に出てくる男に、再び成り下がることが出来た。
ふふふふ。。。。
女を恨んで、妄想の中で女を自由にもてあそぶ男に・・・・・・。。

今度は「妄想の女」を引きずって、だらしなく生きて行かねばならない。多分もう次の20年後はないであろう。。。

| 鬼縄のつぶやき | 07:26 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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夢の女

どこかで見覚えのあるアパートだった。
なぜ私がこのアパートの前にいるのかはよく分からない。
なんとなくなつかしい思いが私の脳裏を支配した。

そうだ!昔、このアパートに私はある女と住んでいた。
もうすっかり忘れかけていたその記憶がよみがえってきた。
その女は私が昔愛した女であった。もう何十年も前の記憶である。
楽しかった思い出が走馬燈のようによみがえってくる。

なぜその女と別れたのかはよく覚えていない。
覚えているのは、私は確かにその女を愛していたと言うことだ。

アパートはその時のままであった。でも人が住んでいる気配がしない。そしてなぜか暗い。
記憶が私をそのアパートの中に引き入れた。
私は、記憶を辿り、女と暮らした部屋の前まで来てしまった。
なんで昔住んだ部屋の前まで来てしまったのだろう。女に未練でも残っているのであろうか。でも、もう何十年も前の記憶である。女も歳をとって、今頃どこかで誰かと平穏に暮らしていることだろう。この部屋に今でもいるとは思えない。そうだ!別れを言い出したのはその女の方からだった。別に男を作って、この部屋から出て行ったのはその女の方であった。なのに、なぜ私はその部屋の前まで来てしまったのだろう。

この部屋にその女がいるはずがない!
そう思ったが私は暗くて取っ手もよく見えない扉を手探りで開けた。。。

パァーっと目も眩むような明るい日差しがその部屋に差し込んでいた。
その部屋の真ん中に、もう何十年も前に別れた女が、その時の若さで朝食を並べたテーブルを前に、笑顔で私を見て言った。

「おかえりなさい。」

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| 鬼縄のつぶやき | 04:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Mではないけど、Mの要素

     

Sだけどこういうのも好きなんです。(汗)

| 鬼縄のつぶやき | 06:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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射精問題

男っていう生態は、白い細胞を出してしまえば、あっという間に
素に戻ってしまう傾向があるわよね。。。

それが、ワタシ的には、HUMANなのよねっ(*^θ^) 

チ○コが、とてもとても憎らしく思う時があるの。。。
いつもかも( ̄▽ ̄;)


これはRinoさんというS女性さんのブログの記事ですが、射精をしてしまうと素に戻ってしまう私は思わず”反省”をしてしまいました。
射精するまでは女をどのようにして責めようとか、どのように苦しませようかといろいろ考え、いやらしい淫靡で陰湿な男なのですが、射精をしてしまうととたんにお人好しの偽善者に戻ってしまう。私はMではありませんが、Sとしても素に戻るのはお相手の女性に失礼なことかもしれないとこの記事を読んであらためて思わされたのです。さすがに射精をしてしまうと背中を向けて寝てしまうなどということはしないけれど、男の生理としてはどうしても素に戻ってしまうのである。これでは被虐の情景に浸っている女性にも”HUMAN”であろう。
これを避けるにはなるべく射精をしないのはMもSも同じであろうが、男として射精したい欲求を否定するのもまた難しいのである。Mは射精を我慢させられるのであろうが、実はSも女を責めている間は射精を我慢しているのである。なぜなら射精をしてしまうと素に戻ってしまうのが分かっているからである。SもMもその切り口は違うけれど、本質的なところはどちらも同じなのかもしれないとあらためて思ったのでした。

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| 鬼縄のつぶやき | 07:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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南無阿弥陀仏。

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三遊亭円朝の名作 「怪談 牡丹燈籠」 に出てくる 「お露」 の幽霊
恋しい新三郎の元へ死んでもなお通い続けるお露 しかし新三郎は
家の周りに お札を貼って お露が中に入ってこれなくしてしまいます
お露は伴蔵と言う人物に百両という お金と引き換えに お札を
剥がしてもらい家の中へ・・・。 翌朝 新三郎は骸骨にまとわり憑かれ
死体となって発見される・・・。


さてこの怪談と私の妄想する被虐と相通ずるところがある。新三郎がお露にとり殺されるところではもちろんない。死んでも男を慕う女の美しき情欲が、縛られ、苛まれ、体や心を責められてもなお男の元に通うM女妄想とがリンクするのである。もちろん現実にはなかなかお目にかかれない情景であろう。だからこそ妄想なのだ。
私の妄想は具現不可能だとよく言われる。団鬼六の描く被虐の女の情景など実際にはあり得ない。それを追い求めることなど馬鹿げたことかもしれぬが、それは怪談に真理を求めるロマンと同じことかもしれないのだとも思ったりする。

私のSMは体も責めるが心も責める。と、お相手には最初にご案内する。もちろん性的な情欲な嗜好的な欲求もあるが、相手の心を責めて暗闇の世界に堕とすことも考えている。出来ればその女の一生を棒に振らせたい。この私の魂胆に気付いた女は私から離れていく。当然だろう。私の為に人生を棒に振る酔狂な女はいない。もちろん妄想で具現は出来ないがそういう気持ちは常にある。だから離れていくのだろう。
離れられれば私は逆恨みをする。この逆恨みは次の女にと向けられるのである。そしてまた女は離れる。そして私は女を恨み次の獲物へと向かう。この馬鹿げた情念の繰り返しで、恨みはいつしか女全体への恨みと変質していく。だから女を責めるという輪廻となる。

恨みながら、死んでもなお男の元に通う幽霊などは私の理想とする女なのかもしれない。私はすでに取り憑かれているのかもしれない。南無阿弥陀仏。

ふふふふ。。。。。。

| 鬼縄のつぶやき | 07:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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とんずらするとするかな。。。

日記だからその日にあったことを気軽に書けばいいと言う訳には行かないということは書いたけれど、さりとてSMを毎日書く訳にも行かない。だから書けないではブログにならない。読む人間がいなくても、何かしら書いておきたいという欲望は誰にでもあると思う。

ところで私は矛盾した人間なのである。政治的には革新的な思想を好むが、心情的には超保守的というより封建的でさえある。性的にもフェミニスティックな面と女をないがしろにするというより差別的、侮蔑的に扱う嗜好面とが混在している。
矛盾と言えば聞こえはよいが、つまるところ偽善的な人間なのである。表と裏が違う。陰ひなたがある人間と言えばわかりやすいだろうか。
ところが私は幸か不幸か人に信頼、信用されてしまう傾向がある。ひとにが見る目がないのか、私が騙すのが上手いのか。私はそれをいいことに、そこに安住しているというわけである。

そこを見透かした女は私から去っていくということであろう。むしろ女が去るのは当然といえるかもしれないのだが、私は逆恨みするのである。そしてその恨みを全く関係のない女に対して晴らすのである。私の好きなことわざに、『江戸の敵を長崎で討つ』というのがある。
だから私は結構恨まれている。恨まれても離れられないという情景が好きな割には、そうならないところが滑稽である。
道化がいつまで持つやら。。化けの皮が剥がれる前にとんずらするとするかな。。。

| 鬼縄のつぶやき | 07:36 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログが書けない理由。

なかなかブログの文章が書けない。ブログは日記風なんとかと訳されているのだから日記を書けばいいとも思うのだが、SMブログで普通の日記を書いて、いかがなものかとも思ってしまう。それに普通の日記を書いて私個人を特定されるのも困る。私の友人なんかは、高校生の時からSM小説を持ち歩いているのを知っているから構わないのだが、そういうことを知らない関係者に特定されるのはやはり困る。日常の日記を書くと日常の私が分かってしまうという欠点があるので、なかなか書けないのだ。

だからといってSMに関することというのは、実はそんなに多くない。それに赤裸々にSMに関することを書くと、関係者に迷惑をかけるという心配もある。結構私は臆病なたちなのである。

ミニブログというのが流行っているらしい。一行日記とSNSが一緒になったようなものらしいけど、ブログやSNSのように書かなくてはという強迫観念にとらわれずにすむところがいいらしい。
「おやすみ」と書くと「もう寝るの?」とかなどと返事が来るらしい。「女を縛りたい」と書けば「私を縛って」とか返事が来るだろうか。

と、ブログを書かない言い訳をしたら1つの記事が書けたよ。

| 鬼縄のつぶやき | 07:46 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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