2ntブログ

鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2004年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年09月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

男も女も同じ。。

フロイドは、リビドーは男のものも女のものも男性的であると言った。 本来、本能として遺伝された性欲はそれぞれ違ったものであったはずだ。しかし、人間は本能が壊れてしまった。そのため、種族保存のための目的からはずれ多形倒錯的リビドーとなったものが幼児性欲である。しかし多形倒錯のままでは種族保存が出来なくなるので、発展過程において性器性欲の形にしなければならない。 ここで重要なのは男の子も女の子も、まずはじめに母親を依存対象とすることである。その結果リビドー関係においては男の子も女の子も母親との合一をめざすことになる。したがってどちらも母親にとっての異性、つまり男であろうとする為にどちらも男性的リビドーとして形成される。 本能が壊れた人間は、種族保存としての性欲ではなく、母親との合一、つまり胎内復帰願望(欲望)として性欲が形成されるというのである。 しかし胎児に戻って母親の胎内へは戻ることが出来ないのでペニスという自己の代表者を替わりに胎内への通路である膣に入れるという形に置き換えてこの胎内復帰願望(=性欲として)を果たすのである。人間の性欲がまず胎内復帰願望という形をとることを最初に指摘したのはS・フェレンツィである。 これでなんとか種族保存という結果をもたらす行為を欲望として本能が壊れた人間にとらすことが出来たのである。 では男の子と同じリビドーをもたされながらペニスがない女の子はどうするのか。。考えねばならぬ。。(笑)

| 性的SM論 | 05:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

彩の使用ブーツのオークション

39aba622.jpg『彩の館』の館主・彩から頼まれて、本人が使用したブーツをオークションに出品しています。

オークション会場

◆サイズ8
◆本皮
◆使用回数5回ほど。美品。
◆返品・返金は不可。

■送料は着払いでお願いします。
■振込み手数料もご負担願います。
■入金確認後に発送します。
■発送主は、sb.comです。

| 彩の場合 | 04:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

サービスのS

時々耳にする、SはサービスのS。 支配にしろ陵辱にしろ、本来Sの意のままにするS行為がMへのサービスだと感じてしまうSの疑問である。 この疑問を感じたあなたはSではない可能性がありますよ。 SとMは己の嗜好の下に主体的に関係を結ぶ。どのようなSM嗜好であれ、それは己が求めたものであり強制されてするものではなかったはずだ。 Sは支配を主体的に選択し、Mは服従を主体的に選択し相手を主体的に選別したはずである。けっして強制されて、義務的に選択せざるを得なかった一般社会における男女のような関係ではなかったはずなのである。(Sが男でMが女でなくとも) この疑問はS男性に多く、S女性からはあまり聞いた事がない。。 つまりSとしてMが喜ぶことをするのはサービスではないかという疑問である。 ではあらためて問う。。Mを調教なり責める行為は、Mが喜ぶかどうかという以前にSであるあなたを喜ばせないのか。その行為がSであるあなた自身の喜び、もしくは満足につながらないとしたらS行為自体に喜びを見出せないことになるではないか。 SM行為を通じてSであるあなたも喜び(充足)、その行為の結果Mも喜ぶ(充足)のでなければ一般社会における義務と強制によるセックスとなんら変わりがない。 結婚をしていながら、恋人がいながらSMの世界に足を踏み入れる人は義務と強制ではなく、己の主体による嗜好の実現を求めているはずなのである。 恋人若しくは婚姻相手にSMプレイを求めても、その相手にその喜びがなければそれは義務や強制となる。だからSM嗜好を共有できる相手を探すのではなかったのか。 サービスのSと感じたらその時点であなたはSではなくなったのである。

| 鬼縄のSM | 08:23 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

女の出発点

もちろん、女の子も幼児期に全知全能である母親に支配される点は男の子と同じではあるが、母親は男の子ほどに女の子を支配しようとはしないらしい。 この理由に、女は社会的には男たちに、家庭内においては夫に支配されるのでその報復として男の子をより支配したがるという説があるが、どうだろうか。 女の子も母親に支配されるが、母親とは同性であるがゆえに、男の子と違って母親とは不能である関係にはならない。つまり同性がゆえに女性恐怖と不能が結びつかない。のちに依存対象を父親に切り替えてもその時点では父親を全知全能視する幼さはすでに脱しているので、男性恐怖が不能とは結びつかないのである。 男のマザーコンプレックスに対して女はファザーコンプレックスがあるように言われるが、私は女もやはりマザーコンプレックスの方が強いと思う。 ただ男のように不能状態とは結びつかないので表面に現れないだけではないのか。 乗り越えるべきはやはり女も母親なのである。 性倒錯は男のもので、女にはほとんどみられないという男女の違いを説明した、J・シャッスゲ スミルゲルの幼児性欲の多形倒錯が男の子は依存対象が異性の母親である為に性的刺激を受け倒錯傾向が持続され、女の子は性的刺激をある程度成長してから父親から受けるので倒錯傾向を持ち越さないという説には納得がいかない。 ただ幼児性欲の多形倒錯時に異性から刺激を受けるか、同性から刺激を受けるかの違いによる性的刺激の程度の差が性倒錯の差に影響を与えているかもしれない。

| 性的SM論 | 04:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

男の出発点

男の出発は異性の親に依存するところから始まる。 まったく無知無能な男の子は全知全能である母親から生まれ、初期の段階では依存し支配される。そしてこの時期男の子は不能である。 この記憶が男の心理内に不能状態と女の支配とを結びつける。したがって男は不能を克服し、性能力を発揮する為には女の支配を打破し、女を支配しなければならない。 その証拠に、地位とか身分とか才能とか何らかの点で自分より上の女、敬意を払わざるを得ない女、支配的な強い女などに対してしばしば不能になる。 この説明は私にはよくあてはまる。だからこそ支配とは違うが何らかの点で自分より勝る女を陵辱したがるのである。 しかしこれではM男性の欲情を説明できないね。 ある男の一面を説明したに過ぎない。欲情のメカニズムは難解だ。

| 性的SM論 | 08:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |