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2006.04.08 Sat
この頃気に入るSMビデオになかなかお目にかかれない。
私のSMが一般的ではないのか、それともSMビデオの方がSM的ではなくなってきたのか。
それはともかく、久しぶりにいいビデオにぶつかった。
特にこの女の表情がいい。。
派手なSMシーンはないが、女の恥じらいを表現してくれる演技に私は弱いのだ。
感じることを隠すのではなく、感じていることを隠さないのでもなく、感じさせられることを垣間見せるというところにぐっと来る。
私は女が吐く次のような台詞に弱い。。
「恥ずかしい。」
「いや。。」
「うっ。」
「見ないで。」
「やめないで。」
「許して。」
「お願い。」
これらのキーワードが女の口から出ると、もうたまらない。言わせるのではなく、女の口から思わず漏れるこれらの台詞は私を喜ばせてくれる。
情緒SMが好きな方には
おすすめである。。。
| 動画
| 09:14
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2006.04.02 Sun
私は女を恨んでいる。
前にも書いたかもしれないが、今もそうである。
なぜなら女は私を裏切るからだ。
最初の女がそうだった。真剣に愛したつもりだった。
女は言うだろう。。。それはあなたのひとりよがりよ。。。。と、
ひとりよがりだろうと、なんだろうと己の中では「愛した」のだよ。
それが伝わらなかっただけのことだ。
女は言うだろう。。。伝わらなければ愛してないのと同じよ。。。。と、
くそくらえだ!
表現は技術だ。技術が下手であろうがなんであろうが己の中では「愛した」のだ。
技術で左右されるなら、技術に頼ろうではないか。
心はどうでもいいのさ。あるように見せればいいことだ。
それに騙される貴女が悪い。
ふふふ。。。。。
そう。ひとの心は悪魔にも分からない。
表現が心を表しているとは限らんのさ。
愛していてもそれが伝わらず、愛していなくともそう思われる。
貴女の心が私には分からないと同じように、私の心も貴女には分からんのだ。
さぁ、貴女は私を信じられますかな?
信頼をして私に縛られますかな?
愛と信頼などといったって、それを確かめるすべなど誰にもないのだ。
そう。。ただ貴女は私を信じるだけなのさ。
私も貴女を信じるよ。。
ふふふ。。。。。。
そして、また女は私を裏切るのさ。
きっと私を信じられなかったのだろう。
しかし、本当の私の心は貴女にはわからない。。。。。。。
さて、次の貴女は?
ふふふふふ。。。。。。。。。。。
| 鬼縄のつぶやき
| 07:06
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2006.04.02 Sun
サイトの整理をした。
私は無料のツールが好きで、いいなぁと思うフリーCGIなどその目的を考えずにとりあえず設置してしまう趣味がある。そのおかげで掲示板が乱立してしまって手に余ってきた。
そこで整理を思いついたのだけど、あちこちに分散しているものをやはりブログにまとめた方がいいだろうという結論に至り引越しした。
それで気がついたんだけど、同じ文章をけっこう使い回ししていましたな。ツールが先行するのでどうしてもそうなる。引越しした文章もそんなになかったぐらいだ。(汗)
で、いろんなブログを拝見しているとみなさんブログパーツなるものを使っていらっしゃる。
見ていると自分でも設置したくなる。この虫は抑えられない。
ブログに掲示板が必要なのかとは思うけど、ブログパーツのBBSを設置してしまいました。
ついつい他にも面白いブログパーツがあるかなぁなどと気になっています。
| 運営日記(新着情報)
| 02:33
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2006.04.02 Sun
近頃の外車は非常にマナーが悪い。
静岡では横断歩道で歩行者がいる場合、パッシングして対向車に知らせる運動をしているが、パッシングして知らせても横断歩道に突っ込んでくる馬鹿な車に外車の割合が多い。特に高級ベンツ。
きっと歩行者や国産の車なんかどうでもいいと思っているのでしょうよ。
俺が仕事でハイエースに乗っているときに、車線変更をしようとウインカを出してもまず道を譲らないのは外車である。特に高級ベンツ。道を譲ってくれるのは決まって普通国産車だ。国産車でもトヨタの高級国産車は道を譲る割合が少ないね。
静岡では高級車ほどマナーが悪い。品位が疑われるのだよ。高級車に乗るとヤクザになった気分にでもなるのかねー。その点、東京の方がまだましかも。
とにかく金に物を言わせて高級車に乗る馬鹿人間が増えて困るわ。
SMにおいては金よりも品格が重視される。金で女は縛れませんからねぇ。品格のない金持ちはせいぜい自動車で威張って下さいませよ。
| 鬼縄のつぶやき
| 02:28
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2006.04.02 Sun
私は基本的に電話に出ません。
電話のベルが鳴ると、何故受話器を取らなければならないのですか?その意味がわかりません。
出たければ受話器を取るし、出たくなければ受話器を取らない。選ぶのは受信する方で、送信側ではないのですよ。
電話が鳴るとすぐ出るから、業者につけ込まれるのです。基本的に電話には出ない。気が向いたときだけ電話に出るようにしたら、だいぶ世の中変わりますよ。
ふふふ。。。。
携帯でも同じです。大事な人の電話にしか私は出ません。。。
| 鬼縄のつぶやき
| 02:26
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2006.04.01 Sat
小学校5、6年の時の思い出にこういうのがある。
クラスでいくつかのグループに分かれて寸劇をすることになった。
私はあるグループのリーダーに選ばれたので、寸劇のストーリーを考えねばならなくなった。私にこういうことをさせるとおのずと方向性が決まってしまう。この頃からすでにSM的妄想を頭の中で描くことは日常的になっていたので、寸劇のストーリーも拷問の場面が織り込まれることになるのは当然の帰結であった。
詳しいストーリーはもう忘れてしまっているが、拷問シーンを描くには忍者モノが一番である。拷問シーンを入れても違和感がないからである。案の定メンバーも素直にこのシーンを受け入れてくれた。もちろん捕まる忍者は「くのいち」でなければなりません。この頃にはもう色気づいていましたからね。
ストーリーが決まれば稽古となるわけだが、他の場面はちょこちょこと済まして、女忍者が捕まって鞭で打たれる場面の稽古ばかりに熱中した。この拷問シーンが上手く表現できないと全体のストーリーが生きてこない。などといっぱしの演出家気取りで、女忍者役の女子生徒を口説いたのだ。その女子生徒はクラスで一番、いや学年でも一、二を争うほどの美人だったと記憶している。その女子生徒に女忍者役を割り振ったのも私である。グループのリーダーだったから配役の権限は持っていた。
その拷問シーンがなかなかうまく出来ないと何度もダメ出しをして発表会の前日まで稽古をした。他の生徒は帰してその場面ばかり二人で熱心に稽古を繰り返したことを覚えている。その女子生徒も結構熱心だった。他の場面を形式的に稽古している間もその女子生徒はけなげにも後ろ手に縛られ、鞭で打たれ、苦痛に歪む演技を一人で練習していたくらいだったからね。私はその熱心さに感動と驚きを覚えたのを今でもはっきり記憶している。
その女子生徒は卒業を待たずに転校していった。確か短期間の在学だったように思う。卒業名簿にも載っていないので同窓会にも姿を見せたことはない。その後彼女はどうなったであろうか。
私は今でも縛る女に演技を求める時がある。それも昔と全く変わっていない。
この寸劇は大衆には全く受けなかった。我がグループは最低の評価だった。しかし私には珠玉の時を与えてくれたのである。
| 鬼縄のSM
| 08:01
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2006.04.01 Sat
私は、小学校3年か4年のころには「SM」という言葉は知らなかったがSM的妄想はしていた。いやもっと前からしていたかもしれない。射精は出来なかったが、そういう妄想をしていると楽しいし、異様に興奮を覚えたものだ。その妄想を具現化した「遊び」を近所のお姉さんとか同級生の女の子としていた。俗に言う「お姫様ごっこ」であるが、私はいつも悪者の役を買って出ていた。というか、この遊びは多勢ではやらずに、女の子と二人でやることのほうが多かった。二人でやればおのずと女の子は捕まる役になるし、私が捕まった女の子を責める役になれるからだ。それに二人なら捕まった女の子を助ける正義の味方は最後まで現れないことになる。
この、小学校3年か4年の頃から始まったであろう妄想は、基本は今でもそれほど進化していない。成長にするにしたがって、性的要素とSMの知識が加えられた程度である。
小学校3年か4年の頃の妄想をご紹介しよう。。
美しいお姫様は悪者の手によって、お城から花見に行く途中、理不尽にも誘拐され地下牢に幽閉されてしまった。
悪者の魂胆は、お姫様の口からお城の財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文の言葉を聞き出すことにあった。呪文の言葉はこの美しいお姫様しか知らないものであったのだ。
まんまとお姫様の誘拐に成功した悪者はお姫様に財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文の言葉を聞くが、簡単に悪者に教えるお姫様ではなかった。
そこで悪者はお姫様を地下牢の床に両手と両足をそれぞれ杭に縛って横たわらせた。
「ふふふ。。。
白状しないなら、この地下牢に大蛇を入れるぞ。その大蛇にからだを舐められても平気かな?
お前が白状しないのなら、そうするがどうするかね?」
「大蛇に舐められたって、命より大事な財宝の在り処と扉を開ける呪文をお前のような悪者に教えるわけには参らぬ。」
「そうか。それでは仕方がない。大蛇をこの地下牢に入れてやろう。きっと教える気持ちになるだろうよ。
教える気持ちになったら声をかけてくれ。それまで俺は外の窓から見ているよ。」
そう言って悪者は地下牢の扉を閉めて外に出て行った。
悪者は地下牢の外の窓を開け、横にある大蛇がいる檻の扉を開ける綱を引いたのだった。
「うううう.......」
お姫様は大蛇が迫る恐怖とその舌でからだを舐められるおぞましさを予感してからだをくねらせた。
しかし手と足は杭に縛られ、その身を縮ませることさえ出来なかった。
それでもお城の財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文を悪者に教えるわけにはいかない。たとえ命を奪われようともそれだけは教えることは出来ないのだ。
この後私は大蛇の役になるのだ。
大蛇の役になって、お姫様役の近所のお姉さんの足から舌を這わすことに夢中になる。
こんな遊びを近所のお姉さん(当時小学校5年か6年だったと思う。)はよく私としてくれたものだと思う。
この頃はもちろん服を着たままでしたので、舐めることが出来たのは足と顔ぐらいのものだったが、不思議と接吻をした覚えも、接吻をしたい思った記憶もない。あくまで大蛇として近所のお姉さんの足と顔を舐めたのだった。
| 鬼縄のSM
| 07:59
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2006.04.01 Sat
セックスが男がやるもの。女はやられるものとなったため、本来なら二人の共同作業であるはずのセックスが人類においては男に対する女のサービスという変な意味を帯びることになった。
セックスが男に対するサービスということになれば、女に何らかのサービスに対する代償を取ってやろうという発想、男に「やらせてもらう」からには何らかの代償を払わねばならないという発想が出てくるのは自然の成り行きというものであろう。ここに売春の起源があると言われている。
あからさまな売春だけでなく、男が女にプレゼントを贈ったり着物を買ってやったり食事をおごったりして、それに感謝して後に彼女が彼に体を「許す」のも、精神的行為を考慮せずに捉えてみると、サービスへの対価の前払い的側面を持ち合わせている。
結婚すらもちょっと前までは結納金などの制度があり、対価の支払い的要素があったのも事実である。
そこから女体は売り物であって、処女は新品の証という概念が育ったように思われる。女体は商品的意味を持たされたのだ。
昔は強姦とは、お金を払わないで売り物を強奪することと同じ概念だったといわれている。売春婦を無理やり犯しても、後でちゃんとお金さえ払えば、強姦にならなかった時代がある。古代のユダヤの律法では、処女が強姦されたとき、彼女の家族は強姦した男に補償を求めたり、彼女との結婚を強いたりする権利があったといわれている。インドのある地方では、処女を強姦しても、彼女と結婚すれば強姦の罪は問われないそうである。エジプトでも、男は強姦してもその後被害者の女と結婚すれば免罪になるという法律が最近まであったそうである。
また、人妻と寝る事が非難されたのは、他人の所有物を無断・無料で使用するからであるという概念がまかり通っていた時があったらしい。
このように女性をモノ扱い、商品扱いするようになれば、おのずと所有意識が生じるのはこれまた当然のことであるように思われる。それがいまだに尾を引いているところが困ったことなのだ。
現代においても男が女に抱くのが独占欲なのか所有意識なのか判然としない場合がある。SMにおいても所有概念なのか独占概念なのかでは意味が違ってくる。奴隷はもちろん所有である。
昔は、女体は売り物だという観念は徹底していた。要するに、非難されるべきは男が女とセックスをして、お金やプレゼント、結婚しないなど性交の代償を男が払わないことであった。
現代でもデート代を女に払わせたり、割り勘にすると評判が悪いのはこの概念を引きずっているからなのであろうか。
| 性的SM論
| 04:58
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