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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2009年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年01月

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鬼縄の縄

「さて、そろそろ縛らせていただきましょうか?」
男は、女の白く透き通る肌に縄をかけようとした。

「あぁっ。お、お願い、そんな事、なさらないで......」
女の頬が恐怖でこわばる。
女は肩を震わせ、床の上を這うように男からツツッと離れると、
身をよじって縄から逃れようとする。
縄を手にした男は女を眺めつつ、
やんわりと女を諭すように、嬉々とした表情で言った。
「逃げても構いませんが......この部屋からは出られませんよ?」

男は以前から目をつけていた美しい女を
今夜ついに誘拐したのであった。
女がアパートから出たときから
男は女を尾行していた。
この時間に女が近くのコンビニに買い物に行くことは
事前の調査で分かっている。
人通りの途絶えた路地に女が歩みを進めて数分後のことである。
後ろから忍び寄る黒い影に、女は何か薬品のようなものをかがされた。
くらっと眩暈を覚えた後、女は気を失った。
気がついた時には薄暗い地下室に監禁されていたのだ。

男は女に焦がれていた。
その女の全てを支配したいと思うほどに。
―― 女を調教するには、一週間もあれば十分だ ――
男には自信があった。

男は女に言う。
「大丈夫。私は貴女を愛しているのです。
ですから、私から離れられないようにして差しあげるだけですよ。
大切に大切に致します。勿論、私のやり方で、ですがね。。。ふふふ」

「お、お願いです。このまま帰してください。私に触らないでっ」
女はまるでわが身を守るかのように
自分の胸の前で両手をクロスにさせ、床の上で震えている。

「ふぅむ。私としてもあまり手荒なことはしたくないのでね。
貴女が大人しく言う事を聞けばちゃんと返して差し上げましょう。
しかし、言う事を聞かないというのなら、一生ここに閉じ込めるしかありませんな」

「そ、そんなっ」
男の言葉を聞くと、女の眼から一筋の涙がこぼれた。
男は矢継ぎ早に言葉を投げる。
「おっと、泣くのはまだ早いですよ。
貴女には快楽の何たるかをお教えして差し上げましょう。
女は麻縄に緊縛されつつ、快楽に身をよじって泣くのが美しいのですよ。
大丈夫。怖がることはありません。
私から離れられなくなるだけですから。ふふふ」

「たとえどんなことをされても、
私が貴方から離れられなくなるなんて、あり得ないですわ」
女はカッとなったのか、やや紅潮した頬で叫んだ。


ますます面白くなってきた。
男は心が躍るのを感じた。
しかし、女に一定の安心感を与えるために湧きあがってくる
淫猥な笑みをかみ殺した。
そして、出来る限り真摯な表情をつくりあげると、女に言った。
「では、一週間したら貴女をここから出して差し上げると
約束致しましょう。その代わり、一週間の間は私の命令に従うのです」

男の言葉を聞き、どうせここから出られないことを徐々に知り始めた女は
自暴自棄に叫んだ。

「す、好きになさるといいわっ」

男は遂に女に縄をかけはじめた。
じりじりと男の興奮が高まる。
緊縛された女は美しい。
裸体よりもずっと。

きっともうすぐ......。
貴女はその股の間から熱い鼓動を感じますよ。
その美しい両太ももの間から、
いやらしく滴る液をたらすのですよ。
そして私の手に落ちるのです。
心の中で、男は勝ち誇ったかのように女に言った。


上手く縄を使い、上手く女を仕込めば、
女は緊縛されるだけでアソコを濡らすようになる。
私は、裸体よりも緊縛された姿態を美しいと思う。
それ故に、縄にはこだわっている。
鬼縄のなめし麻縄は、女を虜にいたします。


9003.gif

| 鬼縄のSM | 21:04 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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正式なフレンチ

私はフランス料理のフルコースというものが苦手である。
なぜなら、フォークとナイフは外側から使うとか、スープは音を立てずに、スプーンは皿の向こう側に向かってスープをすくえとか、フィンガーボールの水は飲むなとか、途中で席を立つ時は、フォークとナイフは「ハの字」に置け、ナプキンはテーブルではなく、席に置け、でないとまだ食べたい料理を片付けられてしまうぞとか、とにかくルールというかマナーがうるさくて、せっかくおいしい料理を食べた気がしないからである。

中でも一番やっかいなのは、皿に盛られたライス(ご飯)の食べ方である。
最初はその昔、確か父親に教えられた記憶があるが、ライスの正式な食べ方は、フォークの背にナイフでライス(ご飯)を乗っけて食べるあの有名な食べ方である。
子供の頃、あのライスの有名な食べ方を教えられてからというもの、ご飯はこぼすし、食事の姿勢は崩れるし、その不器用さに父親からは怒られるし、まったくトラウマのように洋食が苦手になった。
子供の頃はまだしも、ある程度大きくなってからも満足にライスをフォークの背中に乗せられない様子を見て、父親は、『そんなことで正式な晩餐に呼ばれた時に恥をかくのはお前自身だぞ』と、さんざん言われたものである。
だからライスを上手に綺麗にフォークの背中に乗せて食べている人を見ると羨ましく思ったものだ。私に言わせればあの有名なライスの食べ方は曲芸に近い。私のような不器用な男は正式な晩餐どころか、ちょっとした洋食レストランにも女性をエスコートしてデートにも行けないと思っていた。
唯一救われた言葉は、父親の『ヨーロッパ式の正式なフルコースではなく、アメリカ式の簡略フルコースなら、フォークとナイフを別々に持ち替えてもいいし、ライスをフォークの背ではなく、腹(?)の方でスプーンのようにすくってもいいぞ』という言葉であった。
だから恋人と行くならミシュランガイドに載っているような正式なヨーロピアンタイプのレストランではなく、簡略式のマナーが通用するアメリカンタイプのレストランにしようと思っていた。

大学を卒業して、貴金属を扱う卸商社に就職した時に、その会社の方針として、外国の取引先とも食事をする機会もあるだろうし、社会人として一般教養としても正式な洋食マナーを身につけておいた方がいいだろうということで、新入社員は必ず帝国ホテルが主催する洋食食事マナー教室というものに参加させられることになっていた。

私はこの恒例の新入社員のための行事に参加することが憂鬱であった。同じ新入社員同期の連中に、あのライスの下手な食べ方を知られてしまうからであった。きっとみんなはかっこよく上手にライスをフォークの背中に乗せることだろう。正式な洋食マナーを学ぶことが目的であるから、米国式の簡略なフォークをスプーンのように使ってライスをすくって食べることなど決して許されないだろう。私は同期の新入社員仲間に入社早々恥をかき、差を付けられてしまうことに憂鬱になったのだ。

そしてその当日、洋食食事マナー教室に参加するため、私は帝国ホテルに向かった。
洋食食事マナー教室の講師は帝国ホテルの料理長であった。

講習がはじまっていろいろ料理長の説明を聞いた。
不思議なことにライス(ご飯)の食べ方の説明がない。あれだけむずかしい食べ方なのだから、上手にすくえるコツなどがあったら教えて欲しいと思った。それをマスターできたなら長年抱いていたフレンチコンプレックスから解放されるかもしれない。
とうとう最後まで、ライス(ご飯)の食べ方の説明がなかったので、私は思いきって質問をした。

「正式なライスの上手な食べ方を教えて下さい。」

講師の料理長は答えてくれた。

『正式なフレンチのフルコースには、ご飯(ライス)は出てきません。』

| 鬼縄のつぶやき | 21:35 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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時間

時間は気持ちを表すと聞いた事がある。
例えば、メールの返信がすぐ来れば好意を相手が抱いている事になるが、なかなか返信がない時はそれほどには思っていないという事になる。
待ち合わせ時間も予定より早く着いていれば好意を抱いているが、遅れて来るようでは、それほど大事に思われていない証拠であるとか。
時間が全てではないが、相手の気持ちを計る目安にはなるだろう。
ちなみに私は待たせるのは好きだが、待たされるのは大嫌いである。

| 鬼縄のつぶやき | 15:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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SMは嗜好である。

本当に何度も言っていることなのだが、SMをすると何か特別な関係になったような気がしてしまう人達がいるようだが、SMは決して関係ではない。SMは嗜好である。同じ趣味や嗜好を持った同士という関係は成り立つが、それは別にSMでなくても、鉄道マニアでも俳句仲間でも同じである。
特に混同する嗜好に主従のSMがある。本当に奴隷契約を結べば関係になるだろうけど、真の奴隷契約を結ぶなんて言うことはちょっと考えられない。大抵は嗜好の範囲での主従だろうと思う。主従も普通の恋愛関係と同じである。ただ嗜好がノーマルかSM変態かの違いだけであろう。鉄道マニアや俳句仲間同士の恋愛と大差ない。

SMはあくまで性的嗜好である。

ただ性的嗜好を前面に出すと、いかにもいやらしく、低俗な感じがするので関係論にすり替えているに過ぎないのだが、これがSMの暗闇を彷徨うことになる原因でもある。
関係論を論ずるならSMにとらわれず、恋愛論を語ればよいのである。

SMは性的なことから始まる。恋愛を始める前にまずお互いの性的嗜好を確認し合う。当然SMだけして恋愛関係が成立しない場合も多々ある。ノーマルに置き換えればセックスだけして別れるのと同じである。
しかし私は性的な嗜好が人間の本質だと思っているので、この順番でいいと思うのである。性的嗜好が合ってこそ初めて恋愛が出来る。恋愛の結果セックスやSMがあるのではない。セックスやSMの結果愛があるのである。この順番を間違えるから彷徨うことになるのである。
もちろん女性の抱えるリスクは回避することが条件ではあるけれど、SMは最初はセックスをしないのが本来の基本ですからね。その点ノーマルの方がリスクが高いと言えるかもね。

偽善的に性欲を過度に否定して、過度の精神論で語るから間違いを起こす。私はそう思っています。
私は体を差し出さない女に興味はない。結果を条件にする女に興味はない。

| 鬼縄のつぶやき | 20:52 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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多情こそ本質

私は多情を非難しているのではなく、むしろ肯定していて、多情こそ本質的なものだと考えている。むしろ一途の方が欺瞞的であり、偽善的であると考えている。人間の本質的な性欲を認めれば多情こそが自然なのである。しかし道徳やモラルはそれを非難するだろう。一途で唯一の方が世間には受け入れられ、同情され、評価されるのである。

一途で唯一は、「愛」と同様に条件ではなく、結果なのであると私は思っている。結果として一途唯一だったに過ぎず、過程として、条件として一途唯一を持ち出してもあまり意味のないことである。「愛」と同様に一途唯一を条件として考えるから彷徨うのである。
しかも結婚すれば一途唯一を法的にも強要される。更に彷徨うことになる。

「多情」は男の専売特許だと、結構長い間思われてきた。そして男の多情は道徳的にも制度的にも許容されてきた歴史がある。それに比べ、女の多情は認められてこなかったし、下手をすると女の多情は病気として扱われてきた歴史がある。それ故今でも女の多情は、男の多情に比べて非難されやすい。だから女は多情を口にしないし、自己規制してしまう傾向が今でもある。しかし、男も女も多情こそが本質なのである。一途唯一は結果でしかないと、今の私は思っている。

しかし、理屈と感情は別物である。感情も思想や道徳、宗教や歴史から影響を受けるとしても、そういうものからは独立して存在していて、自分自身でも制御できない場合がある。
私が若い頃受けて、更に受け続けてきた女の多情による私の男の屈辱感や嫉妬心は理屈とは別の所に確かに存在してしまう。理不尽ではあるが、女の多情は男のそれに比べ社会的にも非難される傾向がまだ残っているので、更に私の感情である屈辱感や嫉妬心は強く補強されてしまう。今でさえそうなのであるから、私が若い頃受けた「傷」は結構根深い心の澱となって沈殿してしまっているのであろう。

感情と理屈も矛盾を孕む。その矛盾が牙となって女を嗜虐する心が生まれるのかもしれない。矛盾があるからこそSMも成り立つという持論に戻る。
まさに、女の一途唯一を実現するのは私次第と言うことであろうが、本質である多情を抑えるには己をよっぽど磨かなければならぬであろう。

| 性的SM論 | 18:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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