正式なフレンチ
なぜなら、フォークとナイフは外側から使うとか、スープは音を立てずに、スプーンは皿の向こう側に向かってスープをすくえとか、フィンガーボールの水は飲むなとか、途中で席を立つ時は、フォークとナイフは「ハの字」に置け、ナプキンはテーブルではなく、席に置け、でないとまだ食べたい料理を片付けられてしまうぞとか、とにかくルールというかマナーがうるさくて、せっかくおいしい料理を食べた気がしないからである。
中でも一番やっかいなのは、皿に盛られたライス(ご飯)の食べ方である。
最初はその昔、確か父親に教えられた記憶があるが、ライスの正式な食べ方は、フォークの背にナイフでライス(ご飯)を乗っけて食べるあの有名な食べ方である。
子供の頃、あのライスの有名な食べ方を教えられてからというもの、ご飯はこぼすし、食事の姿勢は崩れるし、その不器用さに父親からは怒られるし、まったくトラウマのように洋食が苦手になった。
子供の頃はまだしも、ある程度大きくなってからも満足にライスをフォークの背中に乗せられない様子を見て、父親は、『そんなことで正式な晩餐に呼ばれた時に恥をかくのはお前自身だぞ』と、さんざん言われたものである。
だからライスを上手に綺麗にフォークの背中に乗せて食べている人を見ると羨ましく思ったものだ。私に言わせればあの有名なライスの食べ方は曲芸に近い。私のような不器用な男は正式な晩餐どころか、ちょっとした洋食レストランにも女性をエスコートしてデートにも行けないと思っていた。
唯一救われた言葉は、父親の『ヨーロッパ式の正式なフルコースではなく、アメリカ式の簡略フルコースなら、フォークとナイフを別々に持ち替えてもいいし、ライスをフォークの背ではなく、腹(?)の方でスプーンのようにすくってもいいぞ』という言葉であった。
だから恋人と行くならミシュランガイドに載っているような正式なヨーロピアンタイプのレストランではなく、簡略式のマナーが通用するアメリカンタイプのレストランにしようと思っていた。
大学を卒業して、貴金属を扱う卸商社に就職した時に、その会社の方針として、外国の取引先とも食事をする機会もあるだろうし、社会人として一般教養としても正式な洋食マナーを身につけておいた方がいいだろうということで、新入社員は必ず帝国ホテルが主催する洋食食事マナー教室というものに参加させられることになっていた。
私はこの恒例の新入社員のための行事に参加することが憂鬱であった。同じ新入社員同期の連中に、あのライスの下手な食べ方を知られてしまうからであった。きっとみんなはかっこよく上手にライスをフォークの背中に乗せることだろう。正式な洋食マナーを学ぶことが目的であるから、米国式の簡略なフォークをスプーンのように使ってライスをすくって食べることなど決して許されないだろう。私は同期の新入社員仲間に入社早々恥をかき、差を付けられてしまうことに憂鬱になったのだ。
そしてその当日、洋食食事マナー教室に参加するため、私は帝国ホテルに向かった。
洋食食事マナー教室の講師は帝国ホテルの料理長であった。
講習がはじまっていろいろ料理長の説明を聞いた。
不思議なことにライス(ご飯)の食べ方の説明がない。あれだけむずかしい食べ方なのだから、上手にすくえるコツなどがあったら教えて欲しいと思った。それをマスターできたなら長年抱いていたフレンチコンプレックスから解放されるかもしれない。
とうとう最後まで、ライス(ご飯)の食べ方の説明がなかったので、私は思いきって質問をした。
「正式なライスの上手な食べ方を教えて下さい。」
講師の料理長は答えてくれた。
『正式なフレンチのフルコースには、ご飯(ライス)は出てきません。』
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| 鬼縄のつぶやき | 21:35 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
すばらしい!
確かに!
懐石料理に箸でパンを食べる作法は必要ないもの!!
・・・だって、出ないから^^
素晴しく簡潔な答えだ
| サド那智 | 2010/01/26 17:50 | URL | ≫ EDIT