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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2007年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年06月

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女が女になる選択

女は女に生まれるのではなく女になるのだというのは、ボーヴォワールの有名な言葉であるが、女が女になるについては、喜んでにせよ、諦めてにせよ、一つの選択であり決断である。
思春期を迎えると、女の子は、自分が女というものであることを発見する。同時に、男という他者を発見する。そして、自分の身体が男の性欲の対象であり、男はこれによって大きな喜びと快楽を得ることが出来るらしいということを発見する。自分が男達にとって性的価値という、なにやらまだよく分からない価値のある存在であることを発見する。そして同時に、自分の性的価値なるものについて不安とためらいを持つ。これらの驚異的事実、なじめない不安な事実は納得は出来ないが、どうも本当らしい。そして、これらのことはどこか後ろめたいことであって、あまりおおっぴらには触れてはいけないことらしい。女の子が女になるのは主としてこうした発見を契機としてであると考えられる。この発見をなかなか承認したがらなかった女の子も初潮が来ると、ついに諦めるらしい。

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| 性的SM論 | 05:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル

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私が使うレギュラースイートは、室内がリビングルームとベッドルームの2つに分かれているため、SM的妄想がふくらむ構造にはなっている。ベッドルームには広めのバスルームが隣接。リビングルームには、2つのテーブルとソファやチェアがあるのでこれも結構使える。
SM環境は設備としては申し分ないのだが、ホテルの部屋から見える海の景色があまりにも健康的なので、SMをやろうという意欲を低下させるのが少々困る。スタッフの接客態度も都心のホテルと違って、親切で和やかな家族的対応をしてくれる。ディズニーランドが目的の客が多いホテルだからしかたがないと言えば仕方がないが、SM的にはマイナスで、SMなんかしなくてもという気にさせてしまうのが少々難点ではある。

このホテルのルームサービスの食事はおすすめで、料金もそれほど高くなく、味もいいのでレストランに行く時間がもったいないという人には便利である。特に朝食の和定食は豪華でこのルームサービスを利用した方がいい。洋食の朝食はたいしたことはない。
レストランも気安く利用でき味も悪くはないが、1Fのグランカフェはファミレスと大差ないので利用しない方がいい。

SMの緊張感を和らげ相手を安心させる効果はあるが、その気を喪失させてくれるホテルでもある。
このホテルに着くとほっと気が安らぐので、個人的には好きである。ただ部屋のテレビが小さいのが気に入らない。

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| ホテル | 02:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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至難の業

女も才能があればいろいろな専門職に就くことが出来、男に頼らなくても一生喰うに困らない社会ではあるが、女の性欲がまだ当然のこととはされておらず、結婚生活ではまだ夫が妻の主人であるような社会においては、才能があって男好きの女はどうしたらいいであろうか。多分、そういう女は結婚しないであろう。彼女にとって結婚はデメリットばかりで何のメリットもない。余談であるが、そういう女の口癖は「女房が欲しい」である。

彼女は自由に多くの男とセックスするかもしれないが、男好きとセックス好きとは必ずしも同じ事ではないので、男達と、セックス抜きではあるが恋人に近いような友達付き合いをして楽しむだけかもしれない。あるいは、女の性欲に対する抑圧に囚われていれば、誘われそうで誘われず許しそうで許さない曖昧な態度で男達を迷わすかもしれない。これは男を迷わせて面白がっている面もあるかもしれないが、彼女の心の中で性欲と性欲の抑圧とが葛藤しており、その葛藤が、ある時は性欲に駆られて男を誘い、それで男が寄ってくると、性欲の抑圧がある為に不安になり、今度は男を遠ざけるという矛盾した態度に表れるということも考えられるのだ。
女の性欲が抑圧されている状況の中で、女が、安っぽく見られることなく、男達との関係を楽しむのは、至難の業というべきであろう。

| 性的SM論 | 01:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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女好きの男

まさしく性本能は壊れているのだから、性に関していろいろな男、いろいろな女がいて当然なのである。多くの女にもてたがる男、つまり女好きの男がいる。もちろん、多くの男にもてたがる女、男好きの女もいて当然である。同性愛者を除き、異性にもてたいのは当たり前であるが、どれほどもてたいかは、個人によってかなり違いがある。一般的に男好きの女より女好きの男の方が多いといわれているが、これは、性に関して女の方がより抑圧されているからに過ぎず、実際は同じなのではないだろうか。いずれにせよ、女好きの男と男好きの女に対する社会的許容度は、性差別の為、依然として大いに異なるようである。現代社会に置いてさえ一般に女好きの男は、「浮気は男の甲斐性」とかいわれて許容される傾向があるが、男好きの女は昔ほどではないにしても未だに淫乱だとかと非難される傾向がある。女好きの男とやっていることは変わらないのに、ニンフォマニアなどという病名で呼ばれたりする。実際、多くの女とやりまくっている男はそれほど変に思われないのに、多くの男とやりまくっている女は何かに駆り立てられているような病的な感じがするのは、同じような動機に基づく行動でも、社会的規範から外れていると、当人に不安と反発を喚び起こし、当人が焦り、行動が歪んでくるからである。性に関して男と女に対する社会的許容度が同じになれば、そういうことはなくなるであろう。

そういう訳で、女好きの男は大して困らないが、それに比べると、少数の男では我慢できない男好きの女はやはりまだ生きづらいのではなかろうか。そういう女がいて何の不思議もないが、彼女はどうすればいいのであろうか。
結婚する以外に女がまともに生きる道がほとんどなく、しかも妻になれば厳しく貞節が要求され、己を捨てて夫の為に尽くすことしか許されなかった社会、その上、女が何か職を持って自活する道がほとんど閉ざされていた社会においては、男好きの女は絶望的であっただろう。

| 性的SM論 | 05:52 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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> MIRACLE初「究極の背徳」母と息子の禁断な関係



縛られた淫乱な私を息子に玩具のようにされる事です。
こんな妄想ばかりを思うようになってしまいました。
一通のメール。驚く本庄奈津子とスタッフ。

本当にこんな関係の人いるの??
実際にある出版社が調べたデーターに「近親相姦」
経験者の%が掲載されていた。
「母と息子の禁断関係」は0.01%程しかない。
しかし、血縁でない場合(義母と息子)その数は一気に
増え5%という驚く数字だった。
「100人に5人も・・・・本当にいるんだ。」と驚く奈津子。

■プロフィール
名前:大原由美子(本名)
年齢:46歳
身長:158cm
サイズ:89-63-88

今では息子のパンツでオナニーをしてしまう、そんな淫乱な母親です。
母親としてではなく「女」として見られたい、
いつしかそんな事を願うようになってしまいました。
そして、遂に!!!!!!!!!  (゜ロ゜)ギョェ

| 動画 | 02:33 | comments:14 | trackbacks:0 | TOP↑

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売春も自己表現になり得る

あらゆる女にとって売春は例外なく屈辱であるとする主張があるが、売春が屈辱であるのは、貧乏とか暴力とか脅迫とかの何らかの抵抗しがたい圧倒的な外部の力に強いられて不承々々、男の性欲の満足の為に自分の身体を道具として提供させられ、他律的に使われる場合である。このような場合では売春でない性交でも屈辱である。自分の身体とその性的魅力を手持ちの資源と見なし、その資源を自分の才覚で主体的に活用して男達を魅了し操り、男達から金を絞り取るのであれば、売春であっても、一種の自己表現、自己実現、自己確認であり得る。他の世界では価値を認められていなかった自分の体に、風俗業界に飛び込み、それまで抑圧され埋もれていた、男を魅了し操る才能を発揮する機会に恵まれ、男達に欲しがられ、高く売れるという新たな価値を見いだしたのなら、彼女は大いに解放感、充実感を味わうということは考えられないことではない。またもやここで売春とSMを並列的に取り上げることに抵抗はあるが、SMに身を投じる女にもこれと同じ現象が起きているのかもしれない。SMに身を投じることによって、己に新たな価値観を見いだされ、見いだしているのかもしれない。そして同じように、性の抑圧から解放感、充実感を味わっているのではなかろうか。屈辱が屈辱ではなくなるのである。

| 性的SM論 | 08:20 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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