あらゆる女にとって売春は例外なく屈辱であるとする主張があるが、売春が屈辱であるのは、貧乏とか暴力とか脅迫とかの何らかの抵抗しがたい圧倒的な外部の力に強いられて不承々々、男の性欲の満足の為に自分の身体を道具として提供させられ、他律的に使われる場合である。このような場合では売春でない性交でも屈辱である。自分の身体とその性的魅力を手持ちの資源と見なし、その資源を自分の才覚で主体的に活用して男達を魅了し操り、男達から金を絞り取るのであれば、売春であっても、一種の自己表現、自己実現、自己確認であり得る。他の世界では価値を認められていなかった自分の体に、風俗業界に飛び込み、それまで抑圧され埋もれていた、男を魅了し操る才能を発揮する機会に恵まれ、男達に欲しがられ、高く売れるという新たな価値を見いだしたのなら、彼女は大いに解放感、充実感を味わうということは考えられないことではない。またもやここで売春とSMを並列的に取り上げることに抵抗はあるが、SMに身を投じる女にもこれと同じ現象が起きているのかもしれない。SMに身を投じることによって、己に新たな価値観を見いだされ、見いだしているのかもしれない。そして同じように、性の抑圧から解放感、充実感を味わっているのではなかろうか。屈辱が屈辱ではなくなるのである。
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| 鬼縄のファン | 2007/06/02 18:22 | URL | ≫ EDIT