それでも買春するのは
売買春について少し考えてみる。
人間の男女の間に売買春という現象が発生したそもそものおおもとの原因は、やっぱり人間の本能が壊れたことにある。性本能も壊れた為、人間は本能によっては性交できない。心の底から沸き起こり、純粋に性交それ自体を求める自然な自発的な衝動のようなものは存在しないと思われる。人間は何らかの幻想に基づいて、何らかの目的の為の手段として性交することしかできない。
SMなどはまさしく幻想であり、SM的幻想に支えられなければ欲情しない私などそのいい例であろう。更にSM的幻想によって満足を得られれば、性交などしなくてもいいと思うのも本能ではない証拠であろう。性交を重視する男より数段私は壊れた男と言えるだろう。
本能が壊れた人間の男女には、性交をお金などの何らかの利益を得る為の手段として用いる可能性も、相手を支配し侮辱する手段として満ちいる可能性も開かれており、個々の男女がそうした可能性を選択するのを防止することは出来ない。
性本能を満足させる為でないとしたら、男は何の為に買春するのであろうか。たとえば、K.Millettは『性の政治学』で、女を買う側の場合、女に屈辱を与えることによって、男性優位を『宣言し』、あるいは少なくとも主張したいというある欲求が、主な役割を果たしているように思われる。と言っているが、買春は男のある種の心理的必要を満たす手段であるらしい。
SMを買春と並列的に述べたくはないが、性欲を支える数ある手段としては同じ幻想の1つということである。
人間の男女の間に売買春という現象が発生したそもそものおおもとの原因は、やっぱり人間の本能が壊れたことにある。性本能も壊れた為、人間は本能によっては性交できない。心の底から沸き起こり、純粋に性交それ自体を求める自然な自発的な衝動のようなものは存在しないと思われる。人間は何らかの幻想に基づいて、何らかの目的の為の手段として性交することしかできない。
SMなどはまさしく幻想であり、SM的幻想に支えられなければ欲情しない私などそのいい例であろう。更にSM的幻想によって満足を得られれば、性交などしなくてもいいと思うのも本能ではない証拠であろう。性交を重視する男より数段私は壊れた男と言えるだろう。
本能が壊れた人間の男女には、性交をお金などの何らかの利益を得る為の手段として用いる可能性も、相手を支配し侮辱する手段として満ちいる可能性も開かれており、個々の男女がそうした可能性を選択するのを防止することは出来ない。
性本能を満足させる為でないとしたら、男は何の為に買春するのであろうか。たとえば、K.Millettは『性の政治学』で、女を買う側の場合、女に屈辱を与えることによって、男性優位を『宣言し』、あるいは少なくとも主張したいというある欲求が、主な役割を果たしているように思われる。と言っているが、買春は男のある種の心理的必要を満たす手段であるらしい。
SMを買春と並列的に述べたくはないが、性欲を支える数ある手段としては同じ幻想の1つということである。
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