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2008.02.28 Thu
「夢の女」を忘れさせてくれたのが「妄想の女」だった。
「妄想の女」は「夢の女」と別れてからちょうど20年後に現れた女である。「妄想の女」のおかげで私は「夢の女」を乗り越えることが出来た。昔の女を引きずる男というのは、つまりはストーカーのようなもので、何事にも自信が無く、拗ねていてマイナス思考である。まさに鬼六の小説に出てくる男のようで、女に憧れているだけでまともに口もきけない情けない男なのである。
鬼六の小説では、そんな男がひょんなことから憧れの女を縛ることが出来る状況に恵まれる。だいたいは女に好かれてそうなると言うよりは、女の弱みなり、秘密を握って、時には金の力を利用して憧れの女を縛ることになるのだ。鬼六の小説の男はSというよりMの変形ではないのかとさえ思える。まさに私は「夢の女」を20年も引きずって、夢の中だけで女と戯れているような卑屈な男なのだ。こういう拗ねている男というのが、私の好きな性分でもあるのだけれど。だから立派なSは嫌いだし、またそういうSにはなれない私なのである。
そんな私に小説のように、理想とも言える女が現れた。降って湧いたようにである。その肢体は若く美しくしなやかであった。私が妄想し続けた情景をまるで映し出すように、その女は妄想を具現をしてくれる。そればかりでなくその心の機微というか内面までが美しく、しなやかであった。20年前の「夢の女」がなんとも陳腐な記憶に成り下がってしまうような女であった。おかげで私は自信を取り戻し拗ねることから解放されたかのようであった。ひがむことを忘れ、羨むことさえしなくなった。
私は又、「夢の女」と出逢ってしまった。忘れていたあの「夢の女」である。「夢の女」から20年後に現れた、私の愛した女が「妄想の女」となったからだろう。
現実の出来事は妄想となっていく。思い出というにはまだ生々しすぎる。しかし妄想は時と共に確実に夢となっていくのであろう。「夢の女」が再び現れたのはその序章だったのかもしれない。今から20年後に私は「妄想の女」を「夢の女」としているのであろうか。
おかげで私は鬼六の小説に出てくる男に、再び成り下がることが出来た。
ふふふふ。。。。
女を恨んで、妄想の中で女を自由にもてあそぶ男に・・・・・・。。
今度は「妄想の女」を引きずって、だらしなく生きて行かねばならない。多分もう次の20年後はないであろう。。。
| 鬼縄のつぶやき
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2008.02.28 Thu
男との性関係において女は不可逆的に対象として「もの」として扱われる、すなわち、身体を「使われる」感じが拭いがたいから、女がそこに多かれ少なかれ屈辱を感じるのは避けがたい。
したがって、レスビアン・フェミニストとまではゆかなくても、何となく性交は気が進まないという女は結構多いのでは無かろうか。性交に伴う屈辱感の為に性交に抵抗があるのであろう。
屈辱的なことを強いられて快感を感じるのはなおさら屈辱的なので、快感を感じていても、そのことを否定するのである。SM的情景で快感を感じているのを必死に隠そうとしているというのなら私の好みであるが、この場合のそれは、冷感症の原因とされているもので、快感を感じることを否定する心理状態のことを言う。
この種の冷感症は、感じる能力の欠如なんかではなく、「性器は貸してあげるからどうぞ勝手に使ってくれ。わたしは関知しない」という態度の表明である。性欲を満足させ、快感を得たいというのは人間として当然のことであるが、差別的性文化においては、女は、その当然のことの為に屈辱的な形で性交をしなければならないという矛盾に直面する状況におかれている。冷感症はそういう状況が招く一つの結果である。
屈辱的な形の性交を拒否して性的快感を得ようとすれば、まさに、レスビアンになるか、マスターベーションをするしかない。
SMはこの問題の解決に役に立つか。
| 性的SM論
| 05:52
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2008.02.11 Mon
どこかで見覚えのあるアパートだった。
なぜ私がこのアパートの前にいるのかはよく分からない。
なんとなくなつかしい思いが私の脳裏を支配した。
そうだ!昔、このアパートに私はある女と住んでいた。
もうすっかり忘れかけていたその記憶がよみがえってきた。
その女は私が昔愛した女であった。もう何十年も前の記憶である。
楽しかった思い出が走馬燈のようによみがえってくる。
なぜその女と別れたのかはよく覚えていない。
覚えているのは、私は確かにその女を愛していたと言うことだ。
アパートはその時のままであった。でも人が住んでいる気配がしない。そしてなぜか暗い。
記憶が私をそのアパートの中に引き入れた。
私は、記憶を辿り、女と暮らした部屋の前まで来てしまった。
なんで昔住んだ部屋の前まで来てしまったのだろう。女に未練でも残っているのであろうか。でも、もう何十年も前の記憶である。女も歳をとって、今頃どこかで誰かと平穏に暮らしていることだろう。この部屋に今でもいるとは思えない。そうだ!別れを言い出したのはその女の方からだった。別に男を作って、この部屋から出て行ったのはその女の方であった。なのに、なぜ私はその部屋の前まで来てしまったのだろう。
この部屋にその女がいるはずがない!
そう思ったが私は暗くて取っ手もよく見えない扉を手探りで開けた。。。
パァーっと目も眩むような明るい日差しがその部屋に差し込んでいた。
その部屋の真ん中に、もう何十年も前に別れた女が、その時の若さで朝食を並べたテーブルを前に、笑顔で私を見て言った。
「おかえりなさい。」
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私は今でもこの女に未練があるのであろうか。
彼女の夢はもう最近は全く見なかった。もう何十年も前のことである。
私には、愛した女がいた。
そして、私には愛してくれた女がいた。
私をいつまでも待つのは夢の女だけである。
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| 鬼縄のつぶやき
| 04:13
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2008.02.11 Mon
世の中には、女であるというだけで、いろいろ得をすることはいっぱいある。
しかし、売春や売春まがいの結婚は、女にとって楽で、いろいろ得をする面がない訳ではないが、それは罠かもしれない。男のように仕事をして生きて行く道がほとんど遮断されている社会的条件の下では、女達は、売春するか結婚するかしかなく、差別的性文化は、女に男の性欲の対象であることに甘んじさせる為に、いろいろ美味しいえさを用意していると考えられる。
女になることに抵抗する者もいる。自ら求めたのではなく、どこからか突然舞い込んできた女という役割をすんなり引き受けるのは何となく癪だと言うこともあるであろうが、抵抗する理由は、基本的には、男の性欲の対象という受動的役割が屈辱的で、自尊心に抵触する面があり、その為に反発を感じるからであろう。
精神分析においても女の子が女になることに抵抗するこの事実は昔から注目されており、フロイドの言う男根羨望は女の子が単に男根を欲しがると言うことではなく、男根を持たない自分への女の子の否定的見方を差した言葉であり、A・アドラーの男性的抗議という概念は女になることへの女の抗議を表した概念であろう。
動物の雌にとって性交が屈辱的でないように、人間の女にとっても性交それ自体が屈辱的と言うことはないはずである。要するに、男と同じように女も能動的に性欲を満足させる為に性交するのであれば、性交が女にとって屈辱的であるはずがない。屈辱的であるはずがないのに、そうなるのは、文化的に、社会的に能動的に性交することが女には許されていないからである。男に「やられる」こととして女の性交があるからである。
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屈辱とは能動性、主体性の剥奪である。
男の性欲が重視され、女の性欲は無視されて、女には男の性欲を満足させる受動的役割が押し付けられる傾向が強い文化ほど、性交における女の役割は屈辱的である。
SMにおけるMの役割も屈辱的であるが、ノーマルの性交の場合と根本的に違うのは、その屈辱を能動的に欲するというところである。その行為は受動的であっても、能動的に屈辱欲望を満足させる為にSMをするのであるから、本質的にMは屈辱感を抱かない。その意味では、SとMは、ノーマルな男と女より対等関係を築いていると言えるであろう。
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| 性的SM論
| 03:33
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2008.02.05 Tue
東京都大田区鵜の木3丁目のマンションで同区石川町1丁目、無職藤家英樹さん(53)が刺殺された事件で、警視庁は1日、この部屋に住む交際相手の元タレント木村衣里(えり)容疑者(31)を殺人容疑で逮捕した。木村容疑者は日常的に藤家さんから暴力を受けていたといい、同庁はこれが事件の背景にあるとみている。
捜査1課などの調べでは、木村容疑者は1月26日午前5時半ごろ、マンション4階の自室で、藤家さんの背中を果物ナイフ(刃渡り約10センチ)で刺し殺害した疑い。直前に藤家さんから殴るけるの暴行を受け、10日間のけがを負っていたという。
木村容疑者は数年前まで芸能事務所に所属し、グラビアモデルや女優として活動していた。知人の飲食店経営の男性(64)によると、病気を理由に引退したという。男性は以前から「暴力をふるわれる」と木村容疑者から聞かされていた。昨年末、別れるよう勧めたが木村容疑者は「病気でつらいときに面倒を見てくれたから、今度は私が見ないと」と話していたという。
ヌード写真集を手掛けたスタッフは「現場は条件の悪い場所だったのに、不満を言わない、プロ意識をもった女優だった。メジャーな女優になってほしかった」と語り、評判はよかった。
被害者の男性とはデビューまもなく知り合い、最近は男性が週末、容疑者のマンションの部屋に通ってくる「週末婚」が続いていた。二人とも酒が好きで、近所の居酒屋で飲む姿がよく見かけられた。男性は肝臓を患っていたようだ。
番組によると1月26日も、外で飲んだ後、容疑者の部屋で酒を飲んでいたが、やがて、口論となり、男性が暴力を振るい始める。そんな暴力沙汰は日常的で、DV状態だったという。2人で今年の初詣に行った際、「もう暴力は振るわないから」と約束した被害者の暴力に、こらえきれなくなった容疑者が、ついにナイフで背中から刺した殺人ではないかと見られている。
何となく身につまされる事件である。ある意味羨ましいかも。。
演歌的な情景であり、ここまで愛されれば、例え殺されたとしても53歳の男に悔いはないでしょう。
| ニュースと情報
| 09:39
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2008.02.03 Sun
山口香子、中井里美、そして本編メインの南まどかが個性を生かして官能味を発揮し、美しく魅力的に縛られ責められます。緊縛される女の哀愁と被虐感を全身に滲ませた白い美貌。清楚な南まどかに縄をかけ、妖しいばかりに鋭敏な反応に狂喜興奮した濡木嫉痴夢男が、白布の猿轡をかけ、宙に吊り上げ、お尻をムチで叩きます。心身ともに縄の快楽に没入して泣き悶える南まどかの官能的で刺激的な反応する姿に陶酔してください。
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