冷感症の原因
男との性関係において女は不可逆的に対象として「もの」として扱われる、すなわち、身体を「使われる」感じが拭いがたいから、女がそこに多かれ少なかれ屈辱を感じるのは避けがたい。
したがって、レスビアン・フェミニストとまではゆかなくても、何となく性交は気が進まないという女は結構多いのでは無かろうか。性交に伴う屈辱感の為に性交に抵抗があるのであろう。
屈辱的なことを強いられて快感を感じるのはなおさら屈辱的なので、快感を感じていても、そのことを否定するのである。SM的情景で快感を感じているのを必死に隠そうとしているというのなら私の好みであるが、この場合のそれは、冷感症の原因とされているもので、快感を感じることを否定する心理状態のことを言う。
この種の冷感症は、感じる能力の欠如なんかではなく、「性器は貸してあげるからどうぞ勝手に使ってくれ。わたしは関知しない」という態度の表明である。性欲を満足させ、快感を得たいというのは人間として当然のことであるが、差別的性文化においては、女は、その当然のことの為に屈辱的な形で性交をしなければならないという矛盾に直面する状況におかれている。冷感症はそういう状況が招く一つの結果である。
屈辱的な形の性交を拒否して性的快感を得ようとすれば、まさに、レスビアンになるか、マスターベーションをするしかない。
SMはこの問題の解決に役に立つか。
したがって、レスビアン・フェミニストとまではゆかなくても、何となく性交は気が進まないという女は結構多いのでは無かろうか。性交に伴う屈辱感の為に性交に抵抗があるのであろう。
屈辱的なことを強いられて快感を感じるのはなおさら屈辱的なので、快感を感じていても、そのことを否定するのである。SM的情景で快感を感じているのを必死に隠そうとしているというのなら私の好みであるが、この場合のそれは、冷感症の原因とされているもので、快感を感じることを否定する心理状態のことを言う。
この種の冷感症は、感じる能力の欠如なんかではなく、「性器は貸してあげるからどうぞ勝手に使ってくれ。わたしは関知しない」という態度の表明である。性欲を満足させ、快感を得たいというのは人間として当然のことであるが、差別的性文化においては、女は、その当然のことの為に屈辱的な形で性交をしなければならないという矛盾に直面する状況におかれている。冷感症はそういう状況が招く一つの結果である。
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