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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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Sの憂鬱

MはひとりでもMであるが、SはMという対象があってはじめてSになれるのである。もう少し踏み込んで言うと、Sと認めてくれるMの存在があってはじめてSなのだ。何人のMを抱えるSもいれば、たったひとりのMの為のSもいる。Sの為のMか、Mの為のSかはいろぴろあるだろうが、MがSと認めなければSはSになれないのは事実である。
Mを縛ればSなのか。Mを鞭打てばSなのか。Mに浣腸すればSなのか。
答えは「否」である。
それらは技術であって「嗜好」ではない。縛る技術があってもSになれるとは限らない。それを認めるMの存在があってSとなれるのだ。相性というのもある。あるMにとってはSであるが、別のMにとってはSでも何でもないと言うことはよくある。

このように書くと、いかにもMに認めてもらおうとMに迎合するかのような誤解を与えるようだがそうではない。自分をSと認めないMは実はMではないのだ。他のSにとってはMであったかもしれないが、自分にとってはMでもなんでもないのである。今まで自分にとってMだったが、ある日突然Mではなくなると言うこともある。その瞬間Sではなくなるのだ。
MはひとりになってもMであるが、Sはそうではない。Sと認めてくれるMが存在してSでいられるのである。それがひとりであろうが何百人であろうが構わないのだ。

私はSであると言えるのであろうか。Sの憂鬱はまさにそこにある。
因みに私はSである。いや、Sでいなければならぬのである
ふふふふ。。。。。

| 鬼縄のつぶやき | 08:13 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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私の自慢

私のSMは妄想的であるので、とってもワンパターンなのである。つまり嗜好というものは1つのものを追い求める傾向がある。あれもこれもという人もいるけれど、私の場合は同じ妄想の繰り返しである。よく飽きもせずに同じ妄想を幾度となく繰り返せるものだと自分でも感心するくらいである。自分の中で自閉的に繰り返すのなら問題はないが、プレイという形で自分の女とするとなると、その女に自分の中で思い描く反応というか情景を見いださなければ幾度となく繰り返すことなど出来ない。自分の思い描くものと違っていれば、同じことの繰り返しだけに飽きが来てしまうのだ。相手の女だって同じように私にそれを見いださなければ私に飽いてしまうだろう。

不思議なことに私の女は私の妄想に共鳴している訳ではない。いやむしろ嫌悪しているくらいである。理解はしてくれているが私の妄想を自分の妄想としている訳ではない。私は半ば脅して無理矢理強要しているのだ。まさに現実的に私の「無理矢理、嫌々」SMを実践しているようなものだ。なぜそれでも私から離れないのかは私にも依然として謎ではあるが、もうそれが何年も続いている。
この女は、私にとってはSM的に理想だし、女性としても人間としても理想なのである。私にも過去の失恋経験があるが、この女と巡り会えたことで過去を乗り越えることが出来た。過去の女はよくぞ私をふってくれたものだと感謝してしまうくらいだ。振ってくれたからこそ今の女と巡り会えたことが出来たのだからね。過去は美しく記憶に残るものだが今の私には陳腐なものにさえなってしまったくらいだ。それほどこの女はすばらしいのだ。
この私の女は他の男にもよくもてるので、何人かの「恋人」もいる。しかし縛って責めることができるのは私だけなのである。

| 鬼縄のつぶやき | 08:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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私の夢

俺はSMに一生を捧げた男だ。だから、あと5年もしたら日常の仕事はセミリタイヤして田舎に屋敷でも購入して、そこで一生SMをして暮らそうかと思っている。その屋敷に倉か土蔵があると尚いい。。画家が生涯を賭けて絵を書くように、俺も生涯をかけてSMをしよう。だからこそ私の相手をする女は、ただの女やそこらの女ではだめな訳で、人生をかけて愛せる女でなくてはいけないのだ。その時は俺の最後の女を無理矢理にでも連れて行かねばならない。だから私は今もその女を脅し続けている。愛するが故に脅すのである。

| 鬼縄のつぶやき | 12:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私の最期の女

私のSMは幻想(妄想)で成り立っている。私の幻想は、何が原因か分からないが、幼い頃に私に宿り、その芽を団鬼六の小説がはぐくみ、いつしか幻想を具現したいという欲望を抱くようになり、SMの世界にのめり込んだのである。インターネットは幻想の具現化に大きなリアリティを私にもたらせてくれた。それまではSMを掲げてパートナーを募集することなどなかなか出来なかった。ノーマルな付き合いから始まって、ノーマルなセックスを経てから恐る恐るSM嗜好を打ち明けたものだ。ほとんどSM嗜好は理解されなかった。
ネットではSMを標榜してパートナーを募集することが出来る。恐る恐る打ち明けずとも、最初から嗜好を掲げて募集することが可能になったのだ。だからといってSMさえ出来ればそれで良いという訳にもいかない。SMが私のベースではあるがそれは必要条件であって、充分条件ではないからである。SM以外の面でも気に入らねば私は付き合わない。女を縛って責める以上どうしても心の内面にも触れることになる。嗜好はもちろんであるが気持ちの相性というのも結構重要である。何百人縛ったと豪語する縄師とは私は違うのだ。

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| 鬼縄のつぶやき | 08:46 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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婚姻制度の崩壊

現行6カ月の女性の再婚禁止期間を100日に短縮することが先送りの方向になり、女性の離婚時をめぐる与党の調整の焦点は「300日規定」を見直す特例新法案を提出するかどうかに移った。300日規定見直しに対しても、自民党の保守派は「家族制度の根幹にかかわる見直しを議員立法で行うべきでない」と反発。運用見直しを打ち出した長勢甚遠法相の姿勢も絡み、調整の行方は混とんとしている。
 法相は6日の記者会見で特例新法案に否定的な見解を表明。安倍晋三首相も記者団に「婚姻制度の根幹にかかわることについては慎重な議論が必要」と語った。
 300日規定見直しは離婚成立前の別の男性との関係を容認することにつながるため、伝統的な家族観を持つ保守派は容易に認められない。3日の自民党法務部会・PT(プロジェクトチーム)の合同会議で、古屋圭司衆院議員が「議論がどさくさまぎれに行われており心配だ」と反対論を展開した。


また男の横暴がまかり通っている。そもそもこの理不尽な規定は明治憲法下の封建制度が色濃く残っている「家制度」を土台にして制定された規定である。男女平等が原則の現代では全くそぐわないのである。にもかかわらず相も変わらず保守派の男どもはこの制度にしがみつく。なぜなら「血統の正当性」の幻想を女の恣意に委ねたくない思いと、もうとっくに壊れている男性優位の「家族制」へのノスタルジアの為にしがみついているのだ。
女が子供の出生の秘密を握っていることがそもそも保守派の男どもは気に入らないのであるが、こればかりは女にのみ与えられた機能である為に、男はどうすることも出来ない、立ち入れない領分である。そこでなんとか「血統の正当性」を女の恣意に委ねまいとして、いろいろな意地悪な仕掛けを考えたのであろう。

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| 鬼縄のつぶやき | 04:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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危険からの回避

どちらももう相当前のことだから話しても構わないだろう。

私のところに迷い込んだあるM女性は私に責められるか、別の男に身を任すか相当に悩んだ。二叉をかけられたことは面白くはないが、まだ会ってもいないSMの相手を選ばねばならないのだから、慎重にそして用心深くなるのは当然のことだろう。一歩間違えれば犯罪的危険さえ招き入れてしまうリスクを背負っての選択である。恐怖もあるだろう。その心情は察してあまりある。しかしM女性はリアルのSMを求める以上この危険な選択をしなければならない。それを判断するツールは、メールとホームページだけである。彼女は誰にも助言を求められない。求めても意味のないことだからだ。私がして差し上げたいが、私は選択肢そのものだから当然のことながら出来ない。

かくして彼女は決断をした。残念ながら私とは別の男を選んだのだ。私を選ばずに他のS男性を選んだことは問題ではない。そういうことはよくあることで、嗜好や好みは人それぞれである。私とは縁がなかった。ただそれだけのことである。問題だったのは彼女が選んだ男が「犯罪的」だったのだ。

彼女が選んだ男が犯罪的であったという話は大分後になって人づてに聞いた。と、同時に何故私を選ばなかったのかという理由も判明した。その理由とは皮肉にも私が危険と感じたからだというのだ。私に危険を感じて、安全を選んだ結果が犯罪的SMと遭遇してしまったという笑えない笑い話になってしまったのだ。危険からの回避は動物的本能である危険の匂いを嗅ぎ分ける能力を身につけているかどうかにある。理屈ではない。この能力は普段から研ぎ澄まして身につけておく必要がある。この能力を身につけていないとこの彼女のようなことになる。特にSMはリスクが高い分野である。SMをしようとする者はこの能力を是非磨いていただきたい。彼女は二度とSMをしまいと心に誓ったそうだ。

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| 鬼縄のつぶやき | 11:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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嘘と誠

このブログに書いてあることは本当のことですか?と、時々聞かれる。

「SM物語」でも書いたが、全て本当のことでもなく、また嘘でもない。現実と虚構が合い混ざっているというのが本当のところだ。SMにおいて「現実」がそれほど重要とは思えない。SM自体が妄想や虚構なのである。しかしSMが妄想や虚構であっても、実際に調教や責め(プレイ)は行われる。全くの嘘でもないのである。この混沌とした実生活から遊離した世界がSMの世界である以上、それほど現実というのは重要ではない。現実が本質とは限らない。私が求めているのは隠された本質である。SMは心の奥に潜んでいる本質をあぶり出す。現実や真実よりも「本質」を見極める方が面白いし重要であると思っている。

| 鬼縄のつぶやき | 11:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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貢ぎ物を貰っても、罰は当たるまい。

俺にもSMのパートナーはいるが、俺のSMパートナーとSMをするなら既婚者の男は俺に奥方を差し出すべきだと常々思っている。俺は断るが、俺のSMのパートナー達は、俺の大事な女達だから、それぐらいして貰っても罰はあたるまいよ。どうも、俺の女達は男にもてる。もてる上に俺が主従系ではないのを良いことに自由奔放なんだよね。俺の好みの女がそういうタイプだから仕方ないが、ハーレムの主である俺も苦労するのだ(苦笑)。今後は俺の女達とSMする場合には、俺に貢ぎ物をしろという条約でも施行しようかしらん。。俺は女には甘いが、男には厳しいのだよ。

| 鬼縄のつぶやき | 11:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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明日から静岡まつり

明日から「静岡まつり」である。私も参加する。VOXが削除したような男をよく静岡市が祭りに参加させるなぁとは思うが、これが本質と偽善というものだろう。だれも本質を見ていないし、どれが本質なのかさえつかめないのである。同じ男が一面では行政や教育や医療を語り、一面ではSMを語ってVOXから削除される。世の中とは面白い物だ。

「静岡まつり」で賑わっている静岡市だが、静岡市大御所四百年祭公式ホームページのHPで面白い記事が載っていた。キリシタン迫害は駿府(静岡市)から始まったと言うのだ。

徳川家康の「キリシタン禁教令」は、慶長18年(1613)に発布された。正式名は、「伴天連追放之令」という。初めは、駿府より幕府直轄領に布告され禁止されたものであった。 陰惨な弾圧と迫害が繰り返され、駿府町奉行彦坂九兵衛らが先頭に立って次々と新しい拷問のやり方が考案された。なかでも「駿河の責め苦」といいう宙釣り状態にした拷問はとくに恐れられていたという。

あの有名な拷問に「駿河問い」という名が付いていた訳が分かった。私が明日参加する祭りはキリシタンを連行する駿府町奉行彦坂九兵衛の役で参加するという話はちと出来すぎだろうか。ちなみに大御所家康役は明日が宇梶剛士が、1日は渡辺徹がやる。

| 鬼縄のつぶやき | 09:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私は結婚しない。

何度も言うようだが私のプライベート部分をVOXで展開しようと作り始めたところで強制削除されてしまったので、この話題は前にVOXに書いたがVOXによって強制削除されてしまったので、もう一度書く。

その前にVOXを利用してSMを語ると強制削除されるので、VOXではSMを語らない方がいいだろう。しかしこういった権威主義のところは、東証のように結構ダブルスタンダード、二重ルールを用いる傾向があるので女が書くSMは削除されないかもしれぬ。男の鬼縄がSMを書いたからいけなかったのかもな。

さて余談はさておき、私が結婚をしない訳は結婚をするとどうしても日常と非日常の区別が付きにくくなり、SMが出来なくなってしまう公算が大きいからである。もちろんご夫婦でSMを立派にされている方々もいらっしゃるとは思うが、結婚したとたんSMから遠ざかってしまう場合の方が多いと思う。家庭生活という日常を送り、その中でSMという非日常を取り入れることははなはだ難しいと思われる。

では結婚は結婚。SMはSMと分ければ良いではないかとおっしゃる御仁がいらっしゃるし、昔結婚を求められた女性からも言われたことがあるが、この一見合理的なご意見とも思われるものだが、よく考えてみればこれこそ結婚を制度として捉え、欺瞞を隠す為だけのものに過ぎない陳腐なものに成り下がってしまうのではないだろうか。私はかねがね結婚は愛の結果ではなく単なる制度上のつながりだと言っていることを実証して下さるようなものだ。

SM界には結婚をされている方がSMパートナーを求めてこられる。理由は様々だしそれを非難する気持ちはさらさらない。私だってその恩恵にあずかり、ご亭主持ちのご婦人を縛ってきた。ご亭主としてはたまらんだろうが、それを招くのも実はご自分たちの偽善の結果なのだ。その私が同じ轍を踏む訳にもいくまいと思っている。結婚をして日常に染まりSMを忘れ他のお相手を探すなどということをそれを食い物にしてきた私がする訳にはいかない。

私はSMをベースに生きていこうと決心した男である。せっかく巡り会ったすばらしい女と結婚をしてSMを忘れるより、その女とはずっとSMをしていたいと願うのである。

奥様をお持ちのS男性の皆さん。あなたが縛らないのなら私に奥様を縛らせて下さいよ。ふふふ。。。。。

| 鬼縄のつぶやき | 05:13 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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