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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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現実が妄想を打ち消す

結局のところ、私が求めているものは女の羞恥と悶えである。恥辱を与えることによる女の反応が羞恥と悶えを引き起こすかである。そしてそれを表現してくれるかである。それが私の頭の中で繰り広げられている淫靡な妄想と一致するかである。もうこうなるとこの具現は無理である。これを女に求める方が間違っているのである。ただ一人「妄想の女」を除いては。これは彼女にとっては不幸であった。彼女はこれからもずっと私の頭の妄想中で被虐のヒロインを勤め続けさせられるのであるからである。彼女はこれを阻むことは出来ないのである。

官能小説を捨てたのは何故かという一文にもあるように最初は、

柔肌に食い込む縄が見たく、悲鳴や悦楽の声を聞きたく、ほとばしり出る尿のラインが見たく、そして、驚愕や羞恥に歪む顔が見てみたかったのです。
 挿絵も十分に私たちを興奮させてくれるものではあったわけですが、しかし、それは写真や映像、ましてや、生の迫力には遠く及ぶものではありませんでした。見たい、聞きたい、触れたい、そればかりを考えていたのも事実なのです。


しかし実際に生の女とSMプレイをすると自分の妄想とは乖離を始めてしまうのです。この一文も言っているように、現実が妄想を打ち消すからです
当たり前といえば当たり前で、妄想や官能小説のような情景を実際に具現しようとしても妄想と現実の間にはどうしても矛盾が生じてしまうのです。妄想の具現を求めること自体が間違っているのであった。

「妄想の女」は私の妄想を具現しようとプレイをした訳ではない。どちらかというとSMプレイには協力的ではなかった。ただ彼女の反応や表情が私の妄想を刺激してしまうのである。実際のプレイが多くの場合妄想を打ち消してしまうことが多い中で、彼女の反応や表情は、かつての官能小説のように私の妄想を膨らませてくれるものであったのだ。

私は又かつてのように妄想の中に帰ろうと思う。私のSMはやはり妄想の中にあるようである。
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