私のSMは妄想である。
団鬼六の世界は、所詮小説の世界であって現実のものではない。縛られて羞恥する女。責められて意志に反して悶える女。痒み薬に悶える女。筆のいやらしい刺激に否応なく感じてしまう女。すべて妄想である。団鬼六は現実にはない甘美な世界を私に与えてくれた。
私は小説の世界にとどまるべきだったのかもしれない。
私のSMに付き合ってくれた女達は、鬼縄が求める女などこの世にいる訳がないと思いながらも付き合ってくれたのであろう。ありがたいことである。しかし私は満足できなかった。なぜなら妄想の具現に固執したからである。それは今でも変わらない。
小説を映像化したビデオでも満足できなかった。小説を具現していないからである。満足は出来なかったが文字を映像化してくれたということでは感謝している。文字から写真。写真から動画。そして実際に女を縛って責めることができた。ありがたいことである。私のような男に付き合ってくれた女達に感謝するしかない。しかし私は満足できなかった。
私は「妄想の女」と出逢ってしまった。私は妄想を具現することが出来たと錯覚したのだろう。その錯覚は今でも続いている。結局は錯覚であって具現などしていないのである。錯覚なら妄想と同じである。妄想なら具現する必要はない。頭の中でSMをしてればよいのだ。リアルの女を求める必要もなかった。
堂々巡りで結局元に戻ってしまった。具現を求めた私が間違っていたのであろうか。妄想の中だけで留まるべきだったのか。でも少なくても生の女と付き合ってみていろいろ勉強させていただいたのは紛れもなくリアルであった。リアルではSMよりもそちらの方が私の肥やしになった。SMは妄想の中に帰るとしよう。妄想の中ではパートナーの制約を受けない全くの私の世界なのである。誰にも文句を言われない世界なのである。
ふふふふ。。。。。。
もう、妄想の女以外に私の求める女はいない。
| 鬼縄のSM | 08:54 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑