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2006.10.02 Mon
痒み薬、欲情させる薬というものは実際にはないが、SM小説には登場する。
私はこの薬を使った責めが大好きで、この薬を手に入れたいと探したものだ。
「とろろ責め」というのも好きだが、とろろを秘部に塗っても痒くならないということは、どこかに書いた。
実際にはなくても、こういう薬を使った責めの情景を思い描いては、いまでも欲情している。
実際にはないのだから、SM小説やSMムービーでしかこの情景には巡り合えないが、くすぐり責めと共にこれを扱ったものは少ないのです。少ないから遭遇した時にはおおいに欲情し、おおいに喜ぶのである。
これを具現しようとすれば、実際にはないのだから、お相手の女には演技を求めることになる。
演技でこの情景を作り出し、共に妄想の世界に遊ぶことができる女もまた少ない。
結局のところ、妄想の中で遊ぶしかないのである。頭の中では自由である。無いものもあるし、痒み薬に悶える女も存在する。
彩という女は、今日も痒み薬に悶えるのである。(SM物語を参照のこと)
ふふふふ。。。。。
彩にとっては、私の妄想のモデルにさせられること自体が屈辱であろう。
しかしそれを妨げる手段は彩にはないのである。
妄想は自由であり、妄想の仲の彩は、私の思うがままなのである。
| 鬼縄のSM
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2006.09.18 Mon
女を恥ずかしい格好に縛る。
大の字に。。片足吊に。。開脚に。。。
縛り方はいろいろだが、女の秘部を無防備に曝け出すように縛るのだ。
そして、まず、この責めも大好きなのだが、筆、羽根、そして指で、女の肌を微妙なタッチで刺激するのだ。このくすぐり責めには、私の秘密兵器が別にあるのだが、それは後日気が向いたら投稿する。
くすぐり責めを時間をかけてゆっくりと楽しむ。ねちねちと。そして飽きることなく続ける。
すると女はいやおうがなく感じてきてしまう。本人が否定しても、女の秘部を見れば分かる。
くすぐり責めに女が反応していれば、女の秘部は溢れんばかりの蜜で濡れてくる。
片足吊りなどにしてあれば、太股を伝わって雫となって流れ出す。
この時を待っていたのだ。
女は明らかに感じて、秘部への刺激を待っている。。
ふふふ。。。。
私は秘部に指を当てる。
しかし当てるだけで動かさない。。。
じっと動かさない。
そして指を離す。
またくすぐり責めの再開だ。
しばらくくすぐり責めをした後に、また秘部に指を当てる。
しかしじっと動かさない。
しばらく当てた後に、今度は少しだけ動かしてやる。
女はここで負けまいと、ぐっとこらえて我慢する。
ふふふ。。。。
少しだけ動かして、すぐに止めてしまう。
しばらく当てたままにしていた指をまた少し動かす。
しかしまた止める。
これをいくどとなく繰り返す。
徐々に指を動かす間隔を長くする。
ねちねちとゆっくりと何度も時間をかけてこれを繰り返す。
とうとう女はいく寸前まで追い詰められる。
しかし俺はいく寸前で指を止める。。。
「お、お願い。。。。。指を止めないで。。。。。。」
「も、もう、いかせて。。。。お、お願い。。。。。。。」
俺はこの女の台詞を待っていたのだ。
俺はこの台詞を女に何度言わせたら、いかせるのだろうか。
ふふふ。。
また指が動き出す。いつ止まるか分からない指が動き出す。
「いきたかったら、俺の指が動いている間にいくことだな」
そしてまた、指は止まる。。。。。。。
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この私の好きな責めは、誰にでも有効と言うわけにはいかない。
焦らしを何度か繰り返すと、途中で感じなくなってしまう女がいる。
この責めは、あくまで女が、いつまでも悶えてくれて、内心ではいきたいと思っていてくれないと成立しない。
いかせるころあいも女によって違う。女が感じなくなってしまうと、この責めは台無しだ。
派手な動きもなく、単調な責めなので、女に受けない時もある。それに責め手の忍耐も必要である。
受け手の女の反応によっても違ってくる。責め手を喜ばせてくれる反応をする女は少ない。
感じることを恥ずかしいと思い、されど意思に反してからだは反応してしまう。それを必死で隠そうと耐える。しかし次第に耐えられなくなる。
こんなSM小説のような反応をしてくれる女は少ない。
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| 鬼縄のSM
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2006.04.01 Sat
小学校5、6年の時の思い出にこういうのがある。
クラスでいくつかのグループに分かれて寸劇をすることになった。
私はあるグループのリーダーに選ばれたので、寸劇のストーリーを考えねばならなくなった。私にこういうことをさせるとおのずと方向性が決まってしまう。この頃からすでにSM的妄想を頭の中で描くことは日常的になっていたので、寸劇のストーリーも拷問の場面が織り込まれることになるのは当然の帰結であった。
詳しいストーリーはもう忘れてしまっているが、拷問シーンを描くには忍者モノが一番である。拷問シーンを入れても違和感がないからである。案の定メンバーも素直にこのシーンを受け入れてくれた。もちろん捕まる忍者は「くのいち」でなければなりません。この頃にはもう色気づいていましたからね。
ストーリーが決まれば稽古となるわけだが、他の場面はちょこちょこと済まして、女忍者が捕まって鞭で打たれる場面の稽古ばかりに熱中した。この拷問シーンが上手く表現できないと全体のストーリーが生きてこない。などといっぱしの演出家気取りで、女忍者役の女子生徒を口説いたのだ。その女子生徒はクラスで一番、いや学年でも一、二を争うほどの美人だったと記憶している。その女子生徒に女忍者役を割り振ったのも私である。グループのリーダーだったから配役の権限は持っていた。
その拷問シーンがなかなかうまく出来ないと何度もダメ出しをして発表会の前日まで稽古をした。他の生徒は帰してその場面ばかり二人で熱心に稽古を繰り返したことを覚えている。その女子生徒も結構熱心だった。他の場面を形式的に稽古している間もその女子生徒はけなげにも後ろ手に縛られ、鞭で打たれ、苦痛に歪む演技を一人で練習していたくらいだったからね。私はその熱心さに感動と驚きを覚えたのを今でもはっきり記憶している。
その女子生徒は卒業を待たずに転校していった。確か短期間の在学だったように思う。卒業名簿にも載っていないので同窓会にも姿を見せたことはない。その後彼女はどうなったであろうか。
私は今でも縛る女に演技を求める時がある。それも昔と全く変わっていない。
この寸劇は大衆には全く受けなかった。我がグループは最低の評価だった。しかし私には珠玉の時を与えてくれたのである。
| 鬼縄のSM
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2006.04.01 Sat
私は、小学校3年か4年のころには「SM」という言葉は知らなかったがSM的妄想はしていた。いやもっと前からしていたかもしれない。射精は出来なかったが、そういう妄想をしていると楽しいし、異様に興奮を覚えたものだ。その妄想を具現化した「遊び」を近所のお姉さんとか同級生の女の子としていた。俗に言う「お姫様ごっこ」であるが、私はいつも悪者の役を買って出ていた。というか、この遊びは多勢ではやらずに、女の子と二人でやることのほうが多かった。二人でやればおのずと女の子は捕まる役になるし、私が捕まった女の子を責める役になれるからだ。それに二人なら捕まった女の子を助ける正義の味方は最後まで現れないことになる。
この、小学校3年か4年の頃から始まったであろう妄想は、基本は今でもそれほど進化していない。成長にするにしたがって、性的要素とSMの知識が加えられた程度である。
小学校3年か4年の頃の妄想をご紹介しよう。。
美しいお姫様は悪者の手によって、お城から花見に行く途中、理不尽にも誘拐され地下牢に幽閉されてしまった。
悪者の魂胆は、お姫様の口からお城の財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文の言葉を聞き出すことにあった。呪文の言葉はこの美しいお姫様しか知らないものであったのだ。
まんまとお姫様の誘拐に成功した悪者はお姫様に財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文の言葉を聞くが、簡単に悪者に教えるお姫様ではなかった。
そこで悪者はお姫様を地下牢の床に両手と両足をそれぞれ杭に縛って横たわらせた。
「ふふふ。。。
白状しないなら、この地下牢に大蛇を入れるぞ。その大蛇にからだを舐められても平気かな?
お前が白状しないのなら、そうするがどうするかね?」
「大蛇に舐められたって、命より大事な財宝の在り処と扉を開ける呪文をお前のような悪者に教えるわけには参らぬ。」
「そうか。それでは仕方がない。大蛇をこの地下牢に入れてやろう。きっと教える気持ちになるだろうよ。
教える気持ちになったら声をかけてくれ。それまで俺は外の窓から見ているよ。」
そう言って悪者は地下牢の扉を閉めて外に出て行った。
悪者は地下牢の外の窓を開け、横にある大蛇がいる檻の扉を開ける綱を引いたのだった。
「うううう.......」
お姫様は大蛇が迫る恐怖とその舌でからだを舐められるおぞましさを予感してからだをくねらせた。
しかし手と足は杭に縛られ、その身を縮ませることさえ出来なかった。
それでもお城の財宝を保管してある場所と、その保管場所の扉を開ける呪文を悪者に教えるわけにはいかない。たとえ命を奪われようともそれだけは教えることは出来ないのだ。
この後私は大蛇の役になるのだ。
大蛇の役になって、お姫様役の近所のお姉さんの足から舌を這わすことに夢中になる。
こんな遊びを近所のお姉さん(当時小学校5年か6年だったと思う。)はよく私としてくれたものだと思う。
この頃はもちろん服を着たままでしたので、舐めることが出来たのは足と顔ぐらいのものだったが、不思議と接吻をした覚えも、接吻をしたい思った記憶もない。あくまで大蛇として近所のお姉さんの足と顔を舐めたのだった。
| 鬼縄のSM
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2005.12.19 Mon
私の「無理矢理」とは、HPにも色々書いてありますが、そもそも私は調教とは
言わずに、責めといいますし、拷問好きではないけどその情景にそそられる事も
事実です。私は時代劇の責めシーンによく興奮したものです。私が好きな団鬼六
の小説もどちらかというとSMなんてとんでもないという女を騙したり、言いが
かりをつけたりしてそういう局面に仕方なく、あるいは無理矢理に立ち向かわせ
るという展開が多い。
私はその時に見せる、女の悔しさ、慄き、苦痛に耐え、快楽に悶える表情を求め
てSMをしていると言っても過言ではないのです。言い換えれば、もしかしたら
私のお相手はMさんではダメなのかもしれない。Mというより、そういう情景を
同じく好み、理解し、演じてくれる女を求めているのかもしれません。お芝居で
はいけませんが、ある意味私のSMは演技でも成り立つSMなのです。リアリティ
と演技の狭間のような空間とでもいいましょうか。縛られることに喜び、鞭打た
れることを望む真性Mさんでは責めの情景を作れませんからね。
さて貴女はいかがでしょうか?
| 鬼縄のSM
| 07:48
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2005.12.11 Sun
鬼縄ハーレムは、各界からお前の標榜するSMとは違うのではないのか。とか、お前には似合わない。とか、お前には出来ない。とか、とかと不評でしたのでやっぱりやめることにしました。
そもそも私のSMは、従順な奴隷を求めるものではありません。嫌がる女を縛って、責めて、陵辱するSMですから、従順な奴隷ではダメなのです。
かといって本当に無理矢理にSMをするわけにもいかず。。団鬼六の世界を現実に求めようとしていること自体間違っているのかもしれませんな。
でも私は知っている。そのようなSMを実際に具現する女を。。。
ふふふ。。。。
私は女を貶め、そして泣かせることを。
暗い闇に共に堕ちてくれる女を。。
追い求めている。。
| 鬼縄のSM
| 07:48
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2005.09.01 Thu
肉体を縛るだけでは慣れてしまうのです。
特に二人っきりの部屋でする緊縛など、初回は羞恥にまみれても回を重ねると羞恥心はどうしても薄れていき、緊張感もなくなっていく。
ではどうするか。
詰まるところ心を責めないと、私の求める情景は慣れによって長続きしない。
そこで考えたのが「鬼縄ハーレム」なのだ。
奴隷という形をとって緊張感を持続させる。パートナーという形だとどうしても慣れが生じ、求めている情景が持続できないのだ。
「奴隷」と言っても私の「奴隷」は、よくある「愛と信頼」の主従ではない。くどいようだが悪の領主と無理矢理に調教される被虐の奴隷だ。
しかしそうはいっても妄想上(ハーレム)だけのことであることは言うまでもない。現実に悪影響を及ぼすことはしない。これもルールだ。
かといって多少のリアリティを持たないと、これも陳腐なものになってしまう。無理矢理と言っても所詮は同意の上での無理矢理だ。難しいところだ。
この矛盾をハーレムによって解消させるのだ。一度入れば逃げられないと言う掟さ。これとて本当に逃げられないわけではないが、心理的作用は充分に果たせる。わかるかね?
私は私の妄想を理解する奴隷を求める。
| 鬼縄のSM
| 08:30
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2005.08.30 Tue
この薬を秘部に塗るとなんともいえぬ刺激が女を責める。
塗られた秘部はその刺激から逃れようとバイブ(こけし)を求める。それがなければたまらぬ刺激が女を責めるからだ。
女は秘部にバイブ(こけし)を挿入して下さいと哀願する。
・・・・・・・・・・・・・・。。。
そんなに欲しいのなら、その薬をたっぷり塗ったこけしを挿入してあげよう。
ふふふ。。。。
それでも秘部になにかを入れなければ耐えられないのだ。薬をたっぷり塗ったこけしでも、挿入しなければその刺激からは逃れられない。
なにもないと狂いそうなのだ。。
更なる刺激が襲う事が分かっていながら、薬をたっぷり塗ったこけしを求めてしまう。
そんな薬を私は責めに使うのだよ。
あなたも欲しいですか?
| 鬼縄のSM
| 05:22
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2005.07.01 Fri
昔、私が大好きな「団 鬼六」先生がエッセイで書いていた、「私のSM小説はワンパターン」というくだりを私もまさにそうだと思っています。
鬼六先生曰く、
私の小説は、登場人物や時代背景などが違うだけで、ストーリー的には同じことの繰り返しです。
と言っていましたが、私のSMの妄想も同じで、幼少の頃から抱く妄想はほとんど変わりません。その私の妄想と鬼六描くところのSMが一致したのでファンになったのだと思います。
そして飽きもせずに同じ妄想を繰り返し描き、飽きもせずにその具現を求めているのです。
妄想とは偉大なるワンパターンなのでしょう。
| 鬼縄のSM
| 07:16
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2005.06.11 Sat
感じる、欲情するということは身体が反応して起こることではありません。
頭の反応なのです。
もちろん身体への刺激は重要な要素ではありますが、それだけで「いく」ということはありません。
意識しているか、していないかは別として多かれ少なかれ人は頭で感じているのです。
ですから、頭で「感じない」または「いかない」と入力されたら、身体にどのような刺激を与えても感じないのです。
それとは逆に、頭に「感じる」と入力されたなら、私の指が近づくだけで貴女は感じてしまうようになるのです。
では、何を入力したらそうなるか。
そのひとつに妄想があるのです。感じる妄想があれば、それを引き出すことによってからだも反応するのです。
貴女の妄想が私の求めているところであり、その心情を貴女と私が理解出来れば妄想の一致を見出すことが出来る。一致を見出すことが出来れば、共有することが可能だ。
これを私が引き出せるか。そして貴女の頭の中にからだへの刺激とともに貴女の頭にインプットできるかが、私の手腕でもあるのです。
もちろん同じことをしても必ず感じるとは限らない。相手が違えば感じない。逆に今まで感じなくとも相手が変われば感じることもあるのです。
しかし一致と共有がお互いに出来なければ、SMの嗜好があっても引き出すことは出来ず、貴女も感じることはないでしょう。
もちろん最初から貴女の期待通りに感じることはまずないでしょう。残念ですか?
ふふふ。。。
しかし回数を重ねるごとに、間違いなく貴女のからだは変わっていくのです。私の経験上、4回から5回目ぐらいにご自分でも自覚できるほどに劇的に変化します。
貴女が堕ちることを望むなら、次第にそのようなからだになるでしょう。
リアルでは堕ちないことを望むなら貴女は堕ちないでしょう。望まないものをそうさせることは嗜好の範囲で行うSMプレイでは無理です。
実は貴女を貶める男は、貴女の心の中にいるのです。私はその手下に過ぎないのです。
| 鬼縄のSM
| 08:04
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