二極の階級
ある種の男は、母親に対するように敬意を払わなければならない女、何らかの点で自分より上位にある女に対してしばしば不能であるし、愛を感じた女とは性交する気になれなかったりするらしい。多分、性交すれば、相手の女を穢すような気がするのだろう。それは根拠のない不安ではなく、まさに彼の性欲は愛から切り離されていて、女を単なる性的道具として扱うものであるから、彼は性交すれば実際に相手の女を穢し、人格的に侮辱することになってしまうのである。従って、彼は穢してもいいと思える目下の女、下賤な女しか性的には相手に出来ないのである。
それ以外の女に対して彼が不能なのは、身体的、生理的原因によるのでは全然なく、気が弱いからでもなく、彼にとっては、実は人間として当然のことなのである。彼には、愛する女を穢したり、傷つけたくないという良心のかけらが残っているからである。彼のような男は、穢してはならない女、穢してもいい女というように、女を二極の階級に別けるのである。
それ以外の女に対して彼が不能なのは、身体的、生理的原因によるのでは全然なく、気が弱いからでもなく、彼にとっては、実は人間として当然のことなのである。彼には、愛する女を穢したり、傷つけたくないという良心のかけらが残っているからである。彼のような男は、穢してはならない女、穢してもいい女というように、女を二極の階級に別けるのである。
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