団鬼六のSMは、『女』を手に入れたいから悪事を行う。
それに比べてヨーロッパ的SMは、『権威』や『権力』があるから『女』を手に入れる。ヨーロッパ的SMの前には女は主軸ではなく、権力を引き立たせる道具の一つでしかない。主従のSMとは権力への憧憬を示し、鬼六のSMとは女への憧憬を示すのでは無かろうか、、。鬼六の小説では間違いなく女が手に入れる価値のある最上位に位置しているのである。
私のSMも求める価値の最上位はもちろん「女」そのものである。『女』を手に入れたいからSMをするのだ。そして最高の女を手に入れた。主従という
関係性を求めるために「奴隷」を求めたのではない。
結果として「
関係」は構築されるのであって、手段や目的ではないと思っている。「
関係」を手段や目的とすると「女」は道具化する怖れがある。
私の性的嗜好である「SM」を受け入れてくれた結果として、「
愛」と「
信頼」が得られたのだ。
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