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復讐する物語に酔うのである

団鬼六小説のS達が全くもてないという訳ではない。多分に天の邪鬼で、自分に媚びを売るような女には興味が持てず、そのような女ととのセックスでは不満なのである。
せっかく誘拐した女が抵抗しなくなると、妥協した性行為というのを色気の乏しいものに感じてしまうのである。
結局、鬼六の小説のワル共が言うように、「女の嫌がることを無理矢理させるのが、わいらの趣味や」なのである。こうなると、もうもてるもてないの話ではない。相手の気持ちなどどうでもいいどころか、嫌われるのを覚悟で、己の妄想なり快楽を追求しようとするのである。更に鬼六の悪漢達は、「高嶺の花」を狙う「身の程知らず」なのであるが、そのような女達に自分が本気で愛されるとは期待もせず、いや、もし本気で愛されたなら困惑してしまうのであり、その意味では身の程をわきまえているのである。

ともかく正攻法で相手にしてもらえないならば、奥の手、裏技を使うしかない。そこで鬼六小説のサディストは、様々な手段を用いる。親から譲り受けた店を守ろうと借金地獄に陥る女将や、没落した名門夫人や令嬢には財力をちらつかせるし、女性教師、社長夫人にはスキャンダルを仄めかして脅しをかける。武家の奥様や女博徒には、義理人情がらみの事態によって巧みにおびき出し、生け捕ってしまう。
自分の嗜好の為なら、鬼六のS達はどんな卑劣な手段もいとわない。いやむしろ、卑劣な手段にこそ美学を感じてしまうのである。その意味では被虐的でさえある。自分を貶めることに美学を感じるなどSではなく、むしろMと言っていいぐらいである。しかし求める獲物は、より美しく手に入りにくい上物に挑戦することに生き甲斐を見いだすのだ。断れれば断れるほど、嫌がられれば嫌がられるほど、彼らは興奮し喜ぶのである。まさにストーカー。。始末に悪い。

私のようなこの手のSは、自分にかしずく従順なMではなく、どちらかというと攻撃的なS的な女性に惹かれてしまうのである。その意味でもMと大差ない。そのような女はMにはなってくれず、仮に従順なMになってくれれば興味を無くしてしまうのであろう。
つまりはMを求めているのに、Mを求めていないという大矛盾の中に身を置いているのである。そして、その大矛盾を自ら創出しておいて、それがかなえられないとなると、女を恨んで淫靡な方法で復讐する物語に酔うのである。
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