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女の屈辱感をどうする。

女にとって性交はしばしば屈辱的なものとなるが、性交に屈辱感が伴っているとき、この屈辱感をどうするかは難しい問題である。唯一の根本的解決は性交を女に対する男の侮辱とする共同幻想というか、そういう文化を克服することであるが、それは容易なことではないだろう。

現代のようにそれがまだ克服されない時の最も一般的なごまかし策は、性交をお互いの愛の表現だとし、愛に基づかない性交をしないことである。男と違って、女が愛している人としか性交したがらない理由の一つはここにあるのではないだろうか。
また、女がいろいろな点で自分より上位にある男としか性交したがらないのは、男と性交すれば、女はその男の下位になる、同じ事だが、女と性交すれば、男はその女の上位になるという前提、すなわち性交する男女は対等ではなく、使用者と被使用者(相手の身体を使用する者と相手に自分の身体を使用される者)という上下関係にあり、性交は男を高め、女を低める、女にとって屈辱的なものであるという前提に立っているからであると考えられる。そうだとすれば、自分より上位の男としか性交したがらないのは、性交の屈辱感を何とかごまかす為ということになる。自分より下位の男と性交すれば、あまりにも屈辱が明らかだからである。

そういう偽善的倫理観というかごまかしから解放されるべきSMにおいても、立派なご主人様がM女性においては求められる傾向があり、私のような立派ではない、どちらかというと下位に属するいやらしいだけのS男は敬遠される傾向にあるように思うのは私だけであろうか。もしそうであれば、SMもノーマルの偽善から逃れているとはとても言い難いのである。
SMは偽善的普遍性から解放とは言わないまでも、離れたところにと言うか、属さないところにあるべきだと私は思っている。
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