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「愛」は架空の世界のモノ

キリスト教がこれほどまでにセックスを敵視したのは、キリスト教とほぼ同じ
頃、ヘレニズム世界に成立したグノーシス派の二元論などの影響もあろうが、
第一の理由は、もちろんこの宗教の内部構造にあると考えるのが順当であろ
う。
キリスト教は愛の宗教であるということになっているが、この「愛」に問題が
あるのではないかと言われている。

この宗教においては、霊と肉、アガーペとエロスが厳密に区別されている。ア
ガーペは霊魂のものであって、神に捧げられる愛、清らかで、崇高な愛であ
り、神に救済され、死後に永遠の生命を得るためには、霊魂において神を愛
し、神に愛されなければならなかった。
言い換えれば、愛とは、現世のものではなく、現世に対立し、現世では実現不
可能なものであった。それに反して、エロスは現世のもの、肉体のものであっ
て、卑しい、いやらしい肉欲であった。

この宗教が霊魂を尊び、肉体を蔑んだのは、その来世観、終末観のためであろ
う。神の国、愛の国にしか霊魂の救済、永遠の生命はなく、肉体はすぐ滅びる
一時的な無価値なもので、しばしば霊魂の足を引っ張り、霊魂がその純粋さを
貫くのを邪魔するわけだから、なければないほうがいいのであった。

そして、肉欲こそは肉体のもっとも典型的な表れであり、同じように、なけれ
ばないほうがいいのであった。
肉体の誘惑である肉欲に負け、一時的な性の快感に耽ることは、永劫の罰の苦
しみがつづく地獄に落ちることであった。

要するに、キリスト教の性否定は、架空の世界に真の愛、唯一水遠の価値を求
め、現世否定を救済の条件にしたことから不可避的に導かれる論理的帰結であ
ると考えられる。

つまりは、元々の「愛」という概念は、現世では得られないものであって、架空の世界のモノで
あったのだ。
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