被虐の表現
被虐の表現とは何か。
からだに与えられる刺激に対する表現ではない。
こういう表現は誰でもする。誰でも出来る。
しかし私はこれを被虐の表現とは言わない。
被虐の表現とは心の表現である。
心を表現するのは難しい。例えば心の中で恥ずかしいと思ってもそれを表情やか
らだ、言葉で表現しなければ私には分からない。
多くの場合、恥ずかしいと思うと逆の表現をしたり、恥ずかしいと思うというこ
とを隠そうとする。恥ずかしさに耐えるのとは違い、隠してしまうのである。最
悪の場合照れてしまって、情景を台無しにしてしまう女さえいる。
其の方が真実恥ずかしいのであろうが、これでは被虐の情景を創り出せない。
これを表現できる女とは。。。
この心の被虐を表現したいと言う嗜好を持った女だ。
被虐の嗜好ではない。被虐の心を表現する嗜好だ。
鏡に己の被虐を映そうとする嗜好だ。
私は貴女を監視している。
私は貴女の言動を監視している。
それらは私を欲情させてくれる。
ふふふ。。。。。
私は貴女をすでに陵辱しているのだよ。。
私は貴女の中にいる。だから貴女は私からは決して逃げら
れない。。
私は女に理想を求めない。そもそも私は女に理想を持たない。
求めるのは嗜好の一致と共有。。
完璧に一致することなどないであろう。だからより一致する、もっと一致する女
を求めるのだ。
私を普通の倫理を持った男と思わないほうが良い。
女を責めて陵辱する男などまともな男ではないのだ。
私は偽善ぶる女を暗闇の底に引きずりこむのが大好きなのですよ。
心では清純な女でありたいと想いながら、からだが言うことを聞かない。
からだを責めれば心も崩れる。がんばって耐えることだな。其の方が私も楽しみ
が続くと言うものです。
私は貴女とまだ関係を構築していない。
ただ嗜好がすこぶる同じで興味があると言うだけだ。貴女の内面とその被虐の感
性に惹かれているというだけだ。
ふふふ。。。。。。
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