女は愛と性が一致しているのか
第一に、そうできるためには、ある種の男を軽蔑し低く見ていなければならないが、男と違って、女は一般に、性対象を軽蔑することになれていない。
社会的偏見のために、男女関係は上下関係と見られがちで、女が性対象の男を低く見れば、自分を更にそれより低い位置に置くことになる危険がある。
第二に、男を性欲の対象としてのみ扱うことが出来るためには、性欲を自分の能動的欲望として肯定し、自我に組み入れていなければならないが、一般に社会通念として、女の性欲は男の性欲ほどには容認されていないので、それが難しい。
男だって、女を単なる性欲の対象としてのみ扱うのには、内的禁止というか、ある程度の後ろめたさとためらいがあるが、女が男を単なる性欲の対象としてのみ扱うのには、はるかに強い内的禁止があるようである。
その上、女には、性交の際に自分の性欲をあからさまに強く打ち出しすぎると、相手の男が不能に陥るのではないかという、男にはない不安がある。
その他、最後に付け加えれば、女は例え性満足だけのために性交したとしても、見栄のためか、羞恥心のためか、相手の男を愛しているから性交したのだと人にも思わせたいし、自分でも思いたいということがあるようで、実際以上に女においては愛と性が一致しているように見えるということもあるかもしれない。
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| 性的SM論 | 18:07 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
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| | 2009/11/20 17:50 | |