幸福より快楽
鬼六は、「快楽を求めること、これが本当の成熟だと思うんですよ。未成熟の人間は幸せを求めます」と、説明する。そう言えば「幸せな家庭生活」とは言うが、「家庭生活の快楽」とは言わない。「幸福」とは、フツウの人々若しくは小市民が願うもの、と鬼六先生は捉えているのかもしれない。「平凡な幸せ」という言い方がそれを象徴している。
鬼六に限らず、幸福より快楽を追求するのは、むしろリベルタンやダンディを気取る人々の、いわば伝統的なライフスタイル若しくはポーズだ。例えば19世紀末英国で、同性愛スキャンダルが元で2年の懲役に服さなければならなかった作家・オスカー・ワイルドについて、アンドレ・ジイドは「彼は、人が義務に赴くごとく快楽に行った」と記している。そうなのだ、彼らにとって「快楽」は、「義務」であり、また自己のアイデンティティを確立するために、そして道徳や制度に厳格な小市民との差別化を図るためにも、必要不可欠なのだ。
文化は常に、いかがわしさをも内包する。
ワイルドは作品の中でも「快楽」にこだわる有産階級のダンディ達を描く。彼らの台詞を、いくつかご紹介しよう。
「教養のある者は、快楽を悔いることはないし、教養のない者は、快楽が何であるかを、全く知らない」
「快楽は唯一の生き甲斐だ。幸福ほど人を老けさせるものはない」
「今日では、人を慰めるのは後悔ではなく快楽である」
「単純な快楽は、複雑な人々の最後の逃げ場である」
「タバコは、快楽の完全な型である」
健康という幸福な状態を維持するために、禁煙や節煙したのでは、「快楽」提唱者としては失格という訳なのであろう。
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| 鬼縄のつぶやき | 18:39 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑
そーですよね!
SMをヒマつぶしって言う人見たこと無いもの^^;
| サド那智 | 2009/09/23 19:25 | URL | ≫ EDIT