SMは生涯のものさし
私は自分の女が結婚しているか、独身なのかはさほど問題にしない。
結婚している女でも、私が必要とされ、「私の女」として実感できる女であれば、私はその女を愛し大事にするであろう。
しかし例え独身であっても、私をないがしろにし、私に軸足を置かず、重心を他の男に移せばそれはもう「私の女」ではないのだ。その時、私は不要な男となる。
「結婚」は単なる制度であって、SMや愛を測るものさしにはなり得ないのだ。愛するから結婚する。結婚しているから愛がある。などという理想は理解するが、それを信用するほど甘い男ではない。
だから結婚していることが私のSMの障害にはならない。ものさしとなるのは制度ではなく、その心なのである。
SMは非日常の行為である。日常からは私のSMは生まれない。結婚はかえって邪魔な物である。だから私は結婚をしない。SMを生涯のものさしにしているのである。
結婚している女でも、私が必要とされ、「私の女」として実感できる女であれば、私はその女を愛し大事にするであろう。
しかし例え独身であっても、私をないがしろにし、私に軸足を置かず、重心を他の男に移せばそれはもう「私の女」ではないのだ。その時、私は不要な男となる。
「結婚」は単なる制度であって、SMや愛を測るものさしにはなり得ないのだ。愛するから結婚する。結婚しているから愛がある。などという理想は理解するが、それを信用するほど甘い男ではない。
だから結婚していることが私のSMの障害にはならない。ものさしとなるのは制度ではなく、その心なのである。
SMは非日常の行為である。日常からは私のSMは生まれない。結婚はかえって邪魔な物である。だから私は結婚をしない。SMを生涯のものさしにしているのである。
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