マルキ・ド・サドのSM
サディズムをカトリシズムの私生児として位置づけたのは、19世紀末のフランスのデカダン小説家ユイスマンスと言われている。
マルキ・ド・サドの生きたフランスは、既に啓蒙主義の洗礼を受けていたし、貴族の次男、三男が軍隊に入る代わりに聖職者になったにもかかわらず、娼館に通うなど自堕落な生活を送ったり、一部の修道院が性的にスキャンダラスであったことが知られていた。だからこそ保守的なキリスト教徒は、より厳格なモラルを求める。
時代は折しも「フランス革命」という、反体制派の政治活動家達が結集し成功を収める大イベントを迎えた訳だが、サドの場合は、宗教的反体制分子であったのだ。
サドを鞭を振り回すだけの変態作家というイメージだけを抱いていたのでは、何故19世紀末に再評価され始め、今日に至るまでサド研究が続けられているのか、到底理解できるところではない。SM小説を期待して読み始めた私など、猥褻な場面が意外に少なく、反神・自然絶対主義的論説の長さ、犯罪的遊蕩を正当化させる論説にうんざりしてしまったほどである。
サドは「リベルタン」と呼ばれる。「リベルタン」とは「自由思想家」「遊蕩者」「不信心者」、ときには「無神論者」と訳されるが、サドの場合は、どうやら「無神」ということにはならないだろうと思う。
サドの多くの物語の根底にあるのはアンチ・カトリシズムであり、「涜神」による人間解放の思想と言われている。あくまでもカトリシズムの存在を前提とし、「神」の存在に拘っている。だからこそ、わざわざ復活祭の日曜日に遊蕩したり、十字架や聖書を踏みつけたり、聖体のパンを精液で汚したりといった行為に意義が生じるのである。このような黒ミサ的儀式は、カトリックにおけるミサの秘蹟を無視しては成り立ち得ないのである。
マルキ・ド・サドの生きたフランスは、既に啓蒙主義の洗礼を受けていたし、貴族の次男、三男が軍隊に入る代わりに聖職者になったにもかかわらず、娼館に通うなど自堕落な生活を送ったり、一部の修道院が性的にスキャンダラスであったことが知られていた。だからこそ保守的なキリスト教徒は、より厳格なモラルを求める。
時代は折しも「フランス革命」という、反体制派の政治活動家達が結集し成功を収める大イベントを迎えた訳だが、サドの場合は、宗教的反体制分子であったのだ。
サドを鞭を振り回すだけの変態作家というイメージだけを抱いていたのでは、何故19世紀末に再評価され始め、今日に至るまでサド研究が続けられているのか、到底理解できるところではない。SM小説を期待して読み始めた私など、猥褻な場面が意外に少なく、反神・自然絶対主義的論説の長さ、犯罪的遊蕩を正当化させる論説にうんざりしてしまったほどである。
サドは「リベルタン」と呼ばれる。「リベルタン」とは「自由思想家」「遊蕩者」「不信心者」、ときには「無神論者」と訳されるが、サドの場合は、どうやら「無神」ということにはならないだろうと思う。
サドの多くの物語の根底にあるのはアンチ・カトリシズムであり、「涜神」による人間解放の思想と言われている。あくまでもカトリシズムの存在を前提とし、「神」の存在に拘っている。だからこそ、わざわざ復活祭の日曜日に遊蕩したり、十字架や聖書を踏みつけたり、聖体のパンを精液で汚したりといった行為に意義が生じるのである。このような黒ミサ的儀式は、カトリックにおけるミサの秘蹟を無視しては成り立ち得ないのである。
さて、私のSMもマルキ・ド・サドほどの反体制派ではないのだが、性的嗜好という本質面だけではなく、美しいもの、正しいもの、権威あるもの、一般的なもの(常識)、普遍的と思われているもの等への反逆という側面ももっている。繰り返し言うが、私のSMはあくまで性的嗜好である。性的嗜好ではあるが、側面的というかそのおまけというか、付録的に一般的なものへの抵抗というか、大げさに言えば反逆的な要素も含んでいるのである。
しかしながら、美しいもの、正しいもの、権威あるもの、一般的なもの(常識)、普遍的と思われているもの等を否定している訳ではない。むしろこれらのものを否定したら私のSMは成り立たない。これが私の永遠のパラドックスなのであるが、サドのそれと似ているところがあると思っている。
アンチテーゼが成立するのもテーゼがあってこそという訳である。
ここを否定されると、多分鬼縄という私の存在意義も見いだせなくなるのかもしれない。私にとってはどちらも必要なのだ。光がなければ陰も存在し得ない。と言うところであろうか。。。
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