いやらしいプラトニックラブ
私は、私の女とセックスをしない。それは女が結婚相手以外とはセックスをしたくないという思想を持っているからでもあるし、私がセックスに重大な関心や意味を感じていないと言うこともあるが、それよりも私の妄想の具現ということに最も私の本質を見出しているからである。セックスは私にとって本質的ではないのだ。
もちろん私は不能ではないし、セックスに興味がない訳ではもちろんない。愛している女とセックスをしたいという欲望ももちろんもっている。しかし私も私の女もセックスに関してはそれぞれの想いがあるし、セックスが必要不可分のことでもないのだ。私にとってはそれよりも淫靡な妄想の具現の方が重要なのである。それこそそれを抜きにしては関係の存在意義もないのである。淫靡な妄想は私の本質だからである。
そういった意味では、二人の関係は淫靡な精神恋愛、いやらしいプラトニックラブである。
私のSMもどちらかというと肉体よりも精神を責める割合が多い。体への責めそのものは全くソフトである。女に言わせると、鞭や蝋燭を使って貰った方がよっぽど良いと言うのだが、私は女を悶えさせる「快楽責め」に拘っているのだ。女にとっては悶えさせられることが辛いのだ。女の羞恥心に訴える鬼六風の責めが大好きなのである。逝かされることを恥辱だと感じる女でないと私は燃えないのである。
もちろん私は不能ではないし、セックスに興味がない訳ではもちろんない。愛している女とセックスをしたいという欲望ももちろんもっている。しかし私も私の女もセックスに関してはそれぞれの想いがあるし、セックスが必要不可分のことでもないのだ。私にとってはそれよりも淫靡な妄想の具現の方が重要なのである。それこそそれを抜きにしては関係の存在意義もないのである。淫靡な妄想は私の本質だからである。
そういった意味では、二人の関係は淫靡な精神恋愛、いやらしいプラトニックラブである。
私のSMもどちらかというと肉体よりも精神を責める割合が多い。体への責めそのものは全くソフトである。女に言わせると、鞭や蝋燭を使って貰った方がよっぽど良いと言うのだが、私は女を悶えさせる「快楽責め」に拘っているのだ。女にとっては悶えさせられることが辛いのだ。女の羞恥心に訴える鬼六風の責めが大好きなのである。逝かされることを恥辱だと感じる女でないと私は燃えないのである。
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| 鬼縄のSM | 09:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑