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フロイドのマゾヒズム

フロイドはマゾヒズムに関して(1)性感的(2)女性的(3)道徳的の3つの形態を区別したが、女性的マゾヒズムは女の本質(Wesen)の一表現であると言っている。この「本質」という言葉をどのように理解すべきか意見の分かれるところだと思うが、いずれにせよ、自分を傷つけ苦しめ貶めるマゾヒズムが本能だというようなことはあり得ない訳で、フロイドのこの見解は、人間の女というものは、自然界の雌と違って作られるものであって、作られるものとしての女の役割には性交において男に犯される屈辱を引き受けることが含まれているのだから、女になる為にはその本質にある程度のマゾヒズムを組み込まざるを得ないという意味だとしか考えられないと思われるのである。この屈辱を引き受けるのを拒否したものは女になれないのであり、女ではないのである。

S女性はM男と原則性交しないと言われている。性交はしないけれどM男からしてみればS女性は紛れもなく女である。つまりフロイドが言う女とは性交することを前提とした女を女と定義付けしているように思われる。性交しない女も女として認められることをフロイドは理解しなかったのであろうか。従って性交しない女は、この屈辱を引き受けなくとも女と認められるので、マゾヒズムが女の本質だというフロイドの見解には同意できない。

生物学的本能であるはずのないマゾヒズムを組み込まなければ、性交する女になれないと言うことは、言い換えれば、性交する女とは、動物の雌と違って、生物学的存在ではないと言うことである。もちろん性交しない女も(繁殖行動をしないのだから)当然生物学的存在ではないことは言うまでもない。
これは女だけではなく、男にも逆説的に言えることである。人間は男も女もある意味(自然的)本質ではなく、作られたものであるという(社会的or文化的)本質をもっているのである。
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M男が結婚秒読みか?

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今日も元気にブログ更新しますよ。本日の更新もお楽しみに!いや、M男に関するものネ...

| 鬼縄のファン | 2008/05/10 19:02 | URL | ≫ EDIT















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