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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2006年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年11月

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筆と羽根。

私は筆や羽根を使った責めが好きである。
くすぐり責めと言うと、こちょこちょとくすぐるのを思い起こす御仁も多いであろうが、私の好きなくすぐりとはそういうのとは違う。どちらかというとソフトな刺激を与えるペッティングに近いものであろう。ただ使う道具が筆や羽根である為にいやらしく、隠微な印象を与えるところが普通のペッティングとは違うところだ。人間とはおかしいものでこういう道具を使うことで特別な情景を作り出せるものだ。筆や羽根をからだに這わせるだけで、SM的な特別な情景を作り出すことが出来る。

こういうことが好きだから筆や羽根にも凝ってます。いろんな筆や羽根を集めたりしているのです。
細い筆やら太い筆。柔らかい羽根やら硬い羽根。
鞭にはそれほどこだわらないけど、筆や羽根には結構こだわったりしてます。

筆や羽根を使っていい気持ちにさせるのではなく、虫が這うようなおぞましい感覚を女に与えることが出来れば責めとなる。おぞましいけど、欲情をも刺激してしまう。そんなものが好きなのです。

耳掻き。ご存知でしょう。この耳かきで女を責めることができます。
別に耳掻き出なくてもいいんですが、細い先端の棒状のものを女の乳首や脇の下。足の指の間や膝の裏。女のあらゆる体の部位に、軽く優しく。そして強く早く。いろいろなタッチで繰り返し嬲る。最後には最も感じる部位へこれを這わす。
結構女の神経をさかなでることができます。いろいろ使ってみたけど、竹の耳かきがやはり一番風情があります。

| 鬼縄のSM | 08:30 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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羽根と筆...。更に...

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私に憎いことを言った彩に対してもう少し隠微な責めを加えてあげよう。
今、痒みと闘っている彩に痒みを助長する、筆や羽根によるなんともいえない隠微な刺激を加えると、彩はどんな反応を示すだろうか。
ふふふ。。。。

痒いところを掻くと更に痒くなるということを経験している諸氏も多いと思う。彩の痒みは媚薬によるもので、虫刺されなどの痒みとは違うから掻くのではなく、筆や羽根のさわさわした刺激を加えれば、媚薬の痒みも助長されるだろう。痒みとくすぐったい感覚が織り交ざればなんともいやらしい刺激を彩に与えることが出来ると言うものだ。
更に筆に液体を含ませて彩の肌に這わせれば、その感触はまるで舌で舐められるようなおぞましい感触と似たようなものになる。
舌を這わされる感触がおぞましいと感じるから、俺に舌を這わせることを拒否したのだ。ならば、俺の舌でなければいいというわけだ。液体を含ませた筆先は、舌が這う感触と同じなのだよ。
更に、含ませる液体は水などではなく、茶色の小瓶に入っている、痒みを与えるこの媚薬にしてやるのだ。そうすれば更に効果が長引くし、一石二鳥とはこのことだ。

そろそろ媚薬の効果も薄れた頃合だし、このまま彩に耐えられてもつまらんからな。
ふふふふ。。。。。
なんとしても彩には屈辱の懇願をさせなければ俺の気が済まないのだ。

私は数本の筆と数種類の羽根を用意した。
数々の筆や羽根で彩を責めていたぶり、最後に媚薬を含ませた筆で更に責めてやろう。きっと痒みが再びきつくなったら、忍耐強い彩でも絶望感を味わうことだろうよ。
その時、痒みを和らげる道具も用意してあるのだから。。。。。

| 彩の場合 | 04:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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隠微な時間



「うっ.....。。っ」
あ、ぁぁっ....。」

ふふふふ。。。。
そろそろ限界の時が近づいてきたようだ。。。

俺は、秘部を曝け出すように開脚に縛られ、体全身に汗を噴き出して痒みに悶え、耐えている彩の姿を欲情をそそられながら眺めていた。俺はただ眺めているだけで、何もしない。
何もしないことが彩を責めることになるのだ。

そもそもこういう責めを思いついたのは、彩が俺に言った言葉が災いしているのだ。

「鬼縄さん。私はあなたにあの恥ずかしい写真を卑怯にも隠し撮られ、それをあなたに握られているから、仕方なくあなたのご要望に従っているだけですわ。それと鬼縄さんには、Sとして育てていただいた多少の恩義を感じているから、私も目を瞑って、あなたのそのいやらしい嗜好のお相手をしているのです。だから必要以上に私の体に触れないでいただきたいの。私にその汚らわしい指や舌を這わすなどもっての外ですわ。」

こういう憎い事を私に言えばどうなるか。彩は今、身をもって味わっている。
だから私は彩の体に触れないで眺めているだけなのだ。必要以上に体に触れないのは彩のご要望だ。
何もしないことが、この責めの場合最も有効になる。

彩も自らこの痒みを和らげてくれるよう、私に懇願など、彼女のプライドから出来まい。そのプライドこそが私を長時間楽しませてくれ、彩を苦しませるのではあるのだが。。
しかし、痛みや熱さにはそこそこ耐えられるものだが、この痒みという刺激には弱いものだ。
その昔、足抜けした女郎に、全身に酒を塗り、竹薮などに素っ裸に縛り付けて一晩放置したというような折檻が実際にあったそうである。蚊に刺されたその痒みは相当なものであったそうである。
そこまでひどい責めではないが、私の手の中の茶色の小瓶に入っている媚薬も、塗布した部位を痒くするのである。
彩の秘部と両の乳首にこの薬を指を触れないように塗るには、私の好きな筆で塗るしかあるまい。

この媚薬がおこす痒みを取るには何を求めなければならないかを彩は充分承知している。承知しているだけに彩は私にそれを頼むことが出来ないのだ。

ふふふ。。。。

私は何もしない。部屋には隠微な時間がただ流れていくだけである。
私はその時間を薬の効力が切れるまで楽しむことが出来るのだった。

| 彩の場合 | 11:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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女には性欲がない

かつては女には性欲がないという観念があった。この観念は性差別であると同時に男の不能に対する対策のひとつであったと思われる。

そもそも女性器が男の使用する道具であるとするならば、道具が自発的に欲望を持つと言うのはおかしいから、論理的に女には性欲がないという結論が導き出される。実際、男の都合のいいときに応じる為には女に性欲があっては困るのである。百歩譲って女に性欲があるとしても、それは外因的なもので、内発的、自発的には生じないものであるとされてきた。女の性欲は男に抱かれて始めて生じるもので、そこから女は抱いてさえしまえば言うことを聞くなどと、つい最近まで男の間では公言されていたのである。女に性欲が全く無いと言うのも困るので、男に都合のいい程度の性欲を認めたのであった。これなら思わぬときに女から性交を求められて困ると言う心配がないからだ。

かくして女から性交を求めるのははしたないとされ、かくも女につつしみ深さが押しつけらられていたことは、男が女の能動的性欲をいかに恐れていたかが分かる。そのため、性欲を隠さない女を「淫乱」「尻軽」と非難したのである。

昔は本当に、女には性欲がないと本気で信じられていた。男だけではなく、女自身もそうであった。今でも女には男のような性欲はないと言う女もいるぐらいである。自発的な性欲はないと言い切る女を私は知っている。
だから女の性欲と言うものを体験する機会もなく、本当に女に性欲があることを知らぬまま生涯を終えることも多かった。女の上に乗ってさっさと済ませるのが、まじめな男の性交であった。女に嫌なことを我慢してもらうのだから、さっさと済ませるのが女に対する礼儀というものであったのだ。

女も性本能は壊れているのだから、後天的に構築されなければ、性交で満足を求める性欲は構築されにくい。女に性欲がないと信じられていれば、当然のように性欲を構築する作業も行われなかったのである。
一時代前の女たちは、夫の性欲に付き合わされる以外、性に縁遠い人生を送っても当然だったように思う。だから性交がいやでいやで仕方なく、夫が性交を求めると、早く済む事だけを念じながら、ただ我慢していたような女が結構多かったのではないかと思う。現代でも、夫や恋人の性交が早く済むように、「演技」をする女は多い。
女の性欲に関心を持たない男は女を楽しませるはずはなく、その性癖さえ理解しない。やみくもにペニスを突っ込まれる性交が楽しいはずはなく、性交が苦痛だとする女たちの思いもまた当然であった。

そのような状況下では、何か性衝動のようなものを感じると、私は淫乱な女ではないかとか変な女ではないかと心配したのである。
もちろん女もリビドーの量の点では男と違うはずはなく、女に性欲がないとされても、あるものはあるのだから矛盾が生じ、それが高じて精神にも悪影響を及ぼすことになる。
フロイドが女性のヒステリーを観察したのは、抑圧された性欲が歪められたかたちが症状となってあらわれるということであったのだ。

SM界にはこれと似たようなことが今でも起こっているように思える。性嗜好と精神を混同し悩む女たちがいる。主従が嗜好から離れ、愛の関係と混同し悩むのである。

| 性的SM論 | 04:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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痒み薬

痒み薬、欲情させる薬というものは実際にはないが、SM小説には登場する。
私はこの薬を使った責めが大好きで、この薬を手に入れたいと探したものだ。
「とろろ責め」というのも好きだが、とろろを秘部に塗っても痒くならないということは、どこかに書いた。
実際にはなくても、こういう薬を使った責めの情景を思い描いては、いまでも欲情している。

実際にはないのだから、SM小説やSMムービーでしかこの情景には巡り合えないが、くすぐり責めと共にこれを扱ったものは少ないのです。少ないから遭遇した時にはおおいに欲情し、おおいに喜ぶのである。

これを具現しようとすれば、実際にはないのだから、お相手の女には演技を求めることになる。
演技でこの情景を作り出し、共に妄想の世界に遊ぶことができる女もまた少ない。
結局のところ、妄想の中で遊ぶしかないのである。頭の中では自由である。無いものもあるし、痒み薬に悶える女も存在する。
彩という女は、今日も痒み薬に悶えるのである。(SM物語を参照のこと)
ふふふふ。。。。。

彩にとっては、私の妄想のモデルにさせられること自体が屈辱であろう。
しかしそれを妨げる手段は彩にはないのである。

妄想は自由であり、妄想の仲の彩は、私の思うがままなのである。

| 鬼縄のSM | 08:09 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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