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女には性欲がない

かつては女には性欲がないという観念があった。この観念は性差別であると同時に男の不能に対する対策のひとつであったと思われる。

そもそも女性器が男の使用する道具であるとするならば、道具が自発的に欲望を持つと言うのはおかしいから、論理的に女には性欲がないという結論が導き出される。実際、男の都合のいいときに応じる為には女に性欲があっては困るのである。百歩譲って女に性欲があるとしても、それは外因的なもので、内発的、自発的には生じないものであるとされてきた。女の性欲は男に抱かれて始めて生じるもので、そこから女は抱いてさえしまえば言うことを聞くなどと、つい最近まで男の間では公言されていたのである。女に性欲が全く無いと言うのも困るので、男に都合のいい程度の性欲を認めたのであった。これなら思わぬときに女から性交を求められて困ると言う心配がないからだ。

かくして女から性交を求めるのははしたないとされ、かくも女につつしみ深さが押しつけらられていたことは、男が女の能動的性欲をいかに恐れていたかが分かる。そのため、性欲を隠さない女を「淫乱」「尻軽」と非難したのである。

昔は本当に、女には性欲がないと本気で信じられていた。男だけではなく、女自身もそうであった。今でも女には男のような性欲はないと言う女もいるぐらいである。自発的な性欲はないと言い切る女を私は知っている。
だから女の性欲と言うものを体験する機会もなく、本当に女に性欲があることを知らぬまま生涯を終えることも多かった。女の上に乗ってさっさと済ませるのが、まじめな男の性交であった。女に嫌なことを我慢してもらうのだから、さっさと済ませるのが女に対する礼儀というものであったのだ。

女も性本能は壊れているのだから、後天的に構築されなければ、性交で満足を求める性欲は構築されにくい。女に性欲がないと信じられていれば、当然のように性欲を構築する作業も行われなかったのである。
一時代前の女たちは、夫の性欲に付き合わされる以外、性に縁遠い人生を送っても当然だったように思う。だから性交がいやでいやで仕方なく、夫が性交を求めると、早く済む事だけを念じながら、ただ我慢していたような女が結構多かったのではないかと思う。現代でも、夫や恋人の性交が早く済むように、「演技」をする女は多い。
女の性欲に関心を持たない男は女を楽しませるはずはなく、その性癖さえ理解しない。やみくもにペニスを突っ込まれる性交が楽しいはずはなく、性交が苦痛だとする女たちの思いもまた当然であった。

そのような状況下では、何か性衝動のようなものを感じると、私は淫乱な女ではないかとか変な女ではないかと心配したのである。
もちろん女もリビドーの量の点では男と違うはずはなく、女に性欲がないとされても、あるものはあるのだから矛盾が生じ、それが高じて精神にも悪影響を及ぼすことになる。
フロイドが女性のヒステリーを観察したのは、抑圧された性欲が歪められたかたちが症状となってあらわれるということであったのだ。

SM界にはこれと似たようなことが今でも起こっているように思える。性嗜好と精神を混同し悩む女たちがいる。主従が嗜好から離れ、愛の関係と混同し悩むのである。
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