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神が死んで恋愛が登場した

人間は本能が壊れているから、男と女は本能で結びつくことはできないが、何らかの形で結びつくことは必要である。
西欧においては、神が本能の代替物として男と女を結びつけていたが、その神が衰えると、さらにその代替物が必要になった。そこで、恋愛が登場し、性欲が発明され力のである。

なぜ神が衰え、そして死んでしまったかについては歴史家たちがいろいろ言っているから、そちらに尋ねてもらうことにして、とにかく、それが近代という時代であった。
参考:宗教改革・ルネサンス・近代科学による、キリスト教の衰退化

恋愛の原形はキリスト教における全知全能の神への愛と崇拝であって、対象が神から人間に代わっただけであるから、その感情内容はほとんど変わらない。ニーチェ(『善悪の彼岸』)は「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい」と言ったが、皮肉なことに、キリスト教への反逆として始まった恋愛も、現実の世界で実現不可能な愛の実現をめざす点において、キリスト教と同じ迷妄に陥り、同じような怪物になってしまった。

すなわち、近代の恋愛において多、男の場合で言えば、相手の女をかけがえのない唯一無二の存在として理想化し聖化し、純粋な思慕を捧げ、そして、いわゆるプラトニックラヴというか、彼女を性対象にするのはこの聖なる存在を穢すことになるとして否定するのである。
そういうのが真の恋愛であるとされ、彼女との性交を望むのは不純なのであると言われたのである。
今でもこのような考え方は歴然としてある。
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