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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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私のサイトにおけるSM嗜好について

SM嗜好について私のサイトでは、妄想系と主従系(支配と服従)とに分けています。

傾向的に主従系(支配と服従)を選択する人が多いが、この中にかなりの割合で妄想系というかプレイ型とノーマルな関係重視の人達が紛れ込んでいる感がします。

首輪で繋がれてみたいとか、ムチで調教をされたいとか、アナルを調教されたいとか、一見「主従」を求めているようではあるがこのような願望は妄想系である。「主従」を妄想しているのである。
妄想が悪いと言っているのではありません。このような人達は私のSNSでは「妄想」を選択するべきなのです。

調教の時は厳しくても普段の調教以外の時は「恋人」のようにというのも私の定義する「主従」とは違います。
これもどちらかというと行為と関係を分けています。関係的には世間一般のノーマルな「恋人」や「夫婦」であって、プレイの時だけ「主従」になるものです。
くどいようですが、これを非難しているのではありません。定義の問題を言っているのです。私のSNSでは「妄想」を選んで欲しいのです。

ある「主従」を選択しているM女性が、今までは嗜好重視というかプレイ重視のSMをしてきたが、これからはそうではない本当の奴隷となって支配されたい。というので話をしてみたところ、私には捨てがたい嗜好があるのでそれを理解してくれるご主人様がいいと、おっしゃるのです。
明らかに矛盾です。矛盾は決して悪いものではありませんが、それを要求するのは真の「主従」を求めているのとは違いますから考え直した方がいいのではないかとたしなめたら、逆ギレされてしまいました。
「主従(支配と服従)」は、自己奴隷化を求められます。その根本は、G・A・コーエン「自己所有権テーゼ」によるものです。(http://www.oninawa.net/smdomina/article.php/20130412181724313 参照のこと)
奴隷は自己を「主」に委託することになるので、関係を構築する以上、もはや自分で決定することはもちろん、自己のために要求することも出来ません。
この場合、調教方法は主が決めることであり、奴隷の願いを酌み取る優しさを主に期待はしても、己の嗜好を条件にする事などはもってのほかです。

なぜこのような定義付けを言うかといいますと、この定義が曖昧ですとミスマッチを起こすからです。SMにおけるミスマッチは後々不幸な結果を招きます。プレイ(嗜好や妄想)の不一致ならお互いが譲り合って修正も出来るでしょうが、「主従(支配と服従)」の根本の考え方が違っていると、とんでもない結果を招じることになります。
「主従(支配と服従)」を選択している人に、もう一度自分の求めているものを再確認して頂きたいのです。
しかし困ったことに、彷徨えるM女性には己の求めているものが分かっていない人が多いのです。

「主従(支配と服従)」を謳っているホームページに感化され、その強い絆に憧れてこの世界に足を踏み入れた方はなにを求めていたのかを思いだして下さい。見失った方は探す作業をして下さい。

私のSNSでは、『嗜好的SM』と『ノーマルな関係と嗜好的SM』を求める方は『妄想」を選んで下さい。
『主従(支配と服従)』を選ぶ場合には、自己を「主」に委任出来る人だけが選ぶべきなのです。「奴隷」の進む道は「主」が指し示すのです。「奴隷」が選ぶのではありません。


【追伸】
この考え方は、私のSNSやサイトに限った解釈です。他の場所では通用しないかもしれませんが、私のサイトを利用する限りはこの定義に従って下さい。
定義自体に解釈の違いがあると誤解を生じ、交流が噛み合わず、堂々巡りになってしまう怖れがあります。ミスマッチのまま関係を構築することは不幸を招きます。他では(私のSNSでも)「主従」には実はいろいろな主従があることを知って下さい。

なお、『主従(支配と服従)』を考えるコミュニティサイト、『支配と服従』を作りましたので興味のある方は、そちらもご参加下さい。
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