SM的官能小説的妄想
私はSM愛好家ではあるが縄師ではない。奴隷を育て上げる立派なご主人様でもない。多分SM妄想家なのであろうと思う。妄想を立派な文章に出来る「SM小説家」でももちろんない。しかし女をいやらしく悶えさせるSM的妄想で頭は常に一杯である。私のSM的妄想は「SM」ではないのかもしれない。SMではなく官能小説的SM、もしくはSM的官能小説的妄想なのかもしれない。私はSM的耽美主義者なのであろう。
私の妄想の出発点は団鬼六のSM小説である。その鬼六先生が、
と言ってるように、私のSMもそれに近いのである。団鬼六の小説が出発点だから当然と言えば当然なのだけれど。
つまり私のSMは、SMの語源である「サディズム、マゾヒズム」とは異なるものである。マルキ・ド・サドやザッヘル・マゾッホとはその主義においても、情緒においてもまったく異なるものである。
しかし、余談ではあるが「SM」という言葉は、「サディズム、マゾヒズム」とは似て非なる団鬼六先生が命名されたという話は面白い。
さて、私はSM的官能小説的妄想を具現しようと日夜頑張っているのだがなかなか難しい。そもそもSM小説はその作者が言うように「荒唐無稽」なのだから、具現は不可能だという意見も多い。その意見に私はこう反論する。ディズニーランドでは限られた空間、時間において魔法の国を具現しているではないか。とね。私のSM妄想の実現は無理かもしれないが具現なら限られた空間、時間において可能なのである。そう、あの私の大好きな「痒み薬」だって具現できるのだよ。
ふふふふ。。。。。
頭の中の妄想は無限にいやらしいのである。
私の妄想の出発点は団鬼六のSM小説である。その鬼六先生が、
『SMといっても私なんぞのやっているのは厳密な意味ではSMという種のものではないのかもしれない。SM的ムードを持った荒唐無稽な官能小説であって、自分のねちっこい助平さを売り物にしているようなもの。』
と言ってるように、私のSMもそれに近いのである。団鬼六の小説が出発点だから当然と言えば当然なのだけれど。
つまり私のSMは、SMの語源である「サディズム、マゾヒズム」とは異なるものである。マルキ・ド・サドやザッヘル・マゾッホとはその主義においても、情緒においてもまったく異なるものである。
しかし、余談ではあるが「SM」という言葉は、「サディズム、マゾヒズム」とは似て非なる団鬼六先生が命名されたという話は面白い。
さて、私はSM的官能小説的妄想を具現しようと日夜頑張っているのだがなかなか難しい。そもそもSM小説はその作者が言うように「荒唐無稽」なのだから、具現は不可能だという意見も多い。その意見に私はこう反論する。ディズニーランドでは限られた空間、時間において魔法の国を具現しているではないか。とね。私のSM妄想の実現は無理かもしれないが具現なら限られた空間、時間において可能なのである。そう、あの私の大好きな「痒み薬」だって具現できるのだよ。
ふふふふ。。。。。
頭の中の妄想は無限にいやらしいのである。
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