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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

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文化的産物

女の性的魅力が文化的なものである証拠は、それを化粧や服装や物腰などによって作り出せると言うことである。自分を男達に魅力的に見せ、男に我を忘れさせるのが実に巧みな女がいるかと思えば、あまりにも下手で、これでは男が寄りつかないだろうとしか思えない女もいる。その違いは、顔の美醜や身体のスタイルの善し悪しも係わりがないとは言わないが、それより、男にある種の幻想を抱かせる技術の巧拙によるところが大きい。
しかもこの男が描く幻想は簡単に崩れる。これを理解していない女は、幻想が崩れた為に自分に向けられていた興味が失われたことを理解できない。私の幻想も簡単に崩されてきたものである。

男の性的魅力はあまり語られず、もっぱら女のそれが問題にされると言うことが、女の性的魅力の文化的、社会的役割を物語っている。年老いて性的魅力を失ってしまった女を侮蔑的に「もとおんな」と呼んだりするが、これは、「女」というものが単に生物学的性別を表しているのではなく、性的魅力のある女しか「女」ではなく、性的魅力のある女というものが一つの特殊な社会的身分であることを示している。「もとおんな」とは、ある身分に必要とされる資質を失って、その身分から脱落した者である。

歌舞伎の女形は本物の女より色気があって女らしいと言われるが、それは、「女」や「女の色気」が演技で作られるものである以上、当然であって、プロの演技者である歌舞伎役者が演技者としては素人である普通の女よりはるかに上手く「女」を演じるだけのことである。
「女らしい」とはまさに演技で作られるものなのである。


昔、谷ナオミというSMの女王と謳われた女優がいたが、彼女は真のMではなく演技の上手いM女ということになるだろう。M性も「女」と同じで文化的産物である。人間の資質として本質的に具わっているものではなく、文化的に押し付けられたというか、身につけた嗜好である。
「女」も演技的であるのなら「M性」も演技的であろう。「女」と同じく演技の上手い者が「真性M」よりも「M」らしく見えるのも道理である。
「演技」と言うと嫌われるが、私の求めているM女も実は演技的M女なのである。女性に私の妄想は非現実的とか私の求めるような「女」はいないとかよく言われるが、このような批判はこの「文化的産物」ということを理解できない者の言である。いなければ身につけさせればいいのであると、最近思い始めるようになった。

私の描く情景を理解し、共に描こうとしてくれる女の出現を待つことにしよう。最初から描けなくともいいのである。演技であるから身につけようと努力してくれる女であればいいのである。「真のM」でなくていいのである。
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