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鬼縄のSM blog(FC2改)

鬼縄のSMブログです。淫靡な妄想の世界を彷徨っています。

2009年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年12月

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私は「批判」には寛容ではない。

書こうと思っていたことがいくつかあったのだが酒を呑んだら今日も忘れてしまった。
で、思いついたことは、、、、

私の周りには結構精神障害を起こした人間がいる。従兄弟であったり、弟の嫁だったり、姪だったり結構いるのである。自殺した者もいれば、病院に入った者もいる。私がそもそも変態でへそ曲がりの変人なのだから、その身内に精神を患った者が多くいても何の不思議もないのだが、彼らにはある共通項がある。その程度に強弱はあるが、彼らは皆攻撃性を持っている。他人に対する攻撃はもちろん、多分自分に対しても攻撃をしているのではないかと想像できる。

彼らは皆頭がよい。つまりは勉強が良くできる人種である。頭がいい人間ほど精神を患うらしい。私は彼らほど勉強は出来なかったし、頭も良くないのでSM嗜好の変態程度で収まっているのかもしれない。良かったのか悪かったのか。

しかしその共通項である「攻撃性」はしっかり私も有しているのである。
私は他人からの「批判」に敏感に反応してしまう。いいに付け悪しきにつけ、「批判」には弱いのである。叩かれて成長する人種ではなく、褒められて木に登る人間なのである。それなのに私は幼い頃から親からは叱咤されて育った。私の父親は古い人間で、私のことを「愚息」「愚息」と言い続けたので、謙遜の美徳を知らない連中からは、私は愚かな息子として認識されてしまったのではないかと私は拗ねてしまったのだ。それ以来私は「批判」には寛容ではなくなった。

批判は悪く捉えれば「悪口」に通じる。悪口は疎外に通じる。疎外感を抱いた人間は当然ながら攻撃的になる。批判に寛容でなくなれば当然自己中心になる。自己中が膨らめばますます批判に寛容でなくなり、ますます自己中心になる。その結果他人から疎外され、社会から疎外され精神を患うことになる。私はその一歩手前にいるのかもしれない。

もしかしたら私を「常人」に踏みとどまらせているのは、SMという嗜好のおかげかもしれないと思っている。変態を自認すれば同好の士からは疎外されない。批判や攻撃を受けても変態だからと開き直れる。悪口が褒め言葉になることもある。女から「あなたのようないやらしい人は嫌いだわ」と言われても褒められたと思えるのである。悪口を言われても疎外感を抱かなくなる。疎外されていないと感じれば、ある程度順応できるというものである。
それで私は社会に紛れている。

| 鬼縄のつぶやき | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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哀れなビジネスマン

今秋、友達と北海道に行った時の話である。
北海道には当然飛行機で行く。飛行機、空港と言う言葉に人間は酔うのであろうか。乗り物という定義で行けばバスや電車とさしたる変わりはない。変わりがないのに飛行機や空港というと人は変に興奮するようである。

私は旅行と言えばツァーが好きでよく利用する。個人で行くより楽で気楽だから私は好きなのである。申し込めばガイドが道案内はしてくれるし、乗り物やホテルの手配まで全部してくれる。これを個人で行くとなると、自由はあるかもしれないが、ぜーんぶ自分でしなくてはならない。こんな面倒なことはない。

さて、北海道のツァー旅行が終わって千歳空港で羽田に帰る飛行機の便の搭乗が開始されたので友達と並んでいると、後に並んだ二人のビジネスマンが馴れたぶった会話を始めた。

ビジネスマンA:「いやぁー。今日は馬鹿に込んでますなぁー。」
ビジネスマンB:「ほんとですねぇ。。平日にこんなに混むなんて。並ぶのが大変ですわ。」

俺のつぶやき:並ぶのが大変ならファーストクラスでも取れよ。

ビジネスマンA:「これみんな、ツァー客ですよ。」
ビジネスマンB:「あー。最近安い団体旅行が増えたからねぇー。それで混んでいるんだ。」
ビジネスマンA:「しょっちゅうこの便は使うんですけど、仕事で疲れている時に、ツアー客に隣で騒がれると迷惑ですよね。飛行機が珍しいんですかねぇー。。」

俺のつぶやき:安い団体旅行で悪かったな!たまーに使う客で悪かったな。というよりほとんど飛行機なんかに乗ったことはありませんよ。だから興奮してはしゃぐんですよ。

俺のつぶやき:しかし会社の金でしか飛行機に乗れないビジネスマンも確かにかわいそうだな。それこそたまには自分の金で、遊びで、飛行機に乗ったらどーだ。自慢じゃないが、俺なんか仕事で飛行機なんか乗ったことなどないわ。私の場合、飛行機に乗る時はいつも「遊び」ですよ。そもそも私はこの二人のビジネスマンのように仕事しなくても遊べる身分なのでね。申し訳ないねー。。。ふふふ。。。。

仕事でしか北海道に来れない奴らの戯言を聞いて妙に向かっ腹が立ったのだった。

この手の馴れたぶった奴らというのはどこにでもいて、ビギナーを小馬鹿にするきらいがあるが人格を自ら貶めていることに気づかない馬鹿どもである。こういう愚か者に限って、自分が経験したことのない環境になると、必要以上に萎縮するものであるのだ。

| 鬼縄のつぶやき | 19:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私は己の心をガードしている。

昔の(今でもそうだが)本来の日記というものは他人に見せるものではなかった。他人が読むことを想定していなかった。私の父親など毎日まめに日記を付けていたが、『俺の生きている内は絶対にこの日記を見てはいけない』と子供の頃から釘を刺されていたぐらいだった。もう亡くなってだいぶ経つが私はいまだに父親の日記を読んでいない。
だからネットで公開する日記は他人の目に触れる訳であるからなかなか本音が書けなかったりするのである。でもブログも日記風なのであるから、他人に見せることを想定していない本来の日記同様、他人の目や意見などを意識せず、自分のためだけに書くと言うことがあってもいいだろうと、この頃思う。たとえ他人を傷つけてしまうことがあってもだ。

私はその昔とっても愛した女がいた。結婚したいと思った女はその女が最初で最後であった。事実結婚の約束もした。もし、その女と結婚していたなら、きっと『鬼縄』は存在しなかっただろう。そんな女と何故別れたのかといえば、他の男に乗り換えられたからである。早く言えばふられたのである。
当時二人は安アパートで半同棲をしていて、私の下着やら、学生だったので教科書やら書きかけのレポートやら、結構私の荷物がその女の部屋においてあったのだ。その部屋に男を連れ込まれたあげく、今度はその男と同棲を始めてしまったのだ。そんな状況で自分の荷物を取りに行く羽目になった時の屈辱感は今でもトラウマになっている。

今の私なら受けたショックも少なかったであろうが、その時は今よりずっと初心で一途だったのである。それ以来私は女も男と同様、同時に複数の男と関係を持つ多情な存在だと、学習させられたのだ。だから今の私は、私以外の男と関係を持ったり、たとえ結婚したとしてもそれを理由に私との関係を解消することはしない。私の存在が女にとって必要ならそれでいいのである。
しかし私は女に決して心を許さない。だから結婚もしない。いつでも女が他に男を作って、私から去っていくことになってもいいように私は己の心をガードしているのである。おかげでそれ以来、何人かの女が私から去って行った時も昔の初心だった頃のようなショックは受けずに済むようになったし、逆に女を捨てたり、他の男の女を縛っても心が痛まなくなった。私は己の心をガードしているからである。

余談だが、私の経験則で申し上げると、女が『愛』を語り始めると大概怪しい。私から去る予兆である。

| 鬼縄のつぶやき | 20:27 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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女を貶めないと不能になる男3

女を貶めないと不能になる男が、どれくらいいるかは分からないが、男にとって、幼い時からの母親との情緒関係を断ち切るのは大変なことであって、多くの男が多かれ少なかれそれに失敗しており、母親と同じ「女」に対して同時に情緒関係と性関係を持つことにいくらかは困難を感じる男、性関係を持つために相手の女を情緒関係から、少なくとも性交の時だけでも排除しようとする傾向がある。
普段は優しいのに、性交の時だけは攻撃的になり、女を侮辱したがるとかという男は結構いるのではないか。

雌を獲得するために他の雄と争う雄や、逃げる雌を追っかける雄など、動物の例をもってきて、雄(男)の性欲と攻撃性を結びつける説もあるが、人類の男においても性欲と攻撃性がしばしば結びついていることは確かではあるが、この結びつきを動物の本能で説明することには抵抗がある。

人類は本能が壊れている。売春婦が相手でなければ不能になる本能とか、性交の前に、またはその途中に女を侮辱する本能なんてものがある訳がないのである。
まだ母親から十分に解放されていない男(ほとんどの男がそうであろう)が、性関係において、相手の女の中に自分を不能に引き戻そうとする母親のイメージが紛れ込むのを防ごうとして、必死にそれを振り払おうとする時、男は攻撃的になると思われる。この攻撃性は男の不能対策と考えることが出来る。

女を貶めないと不能になる男が不能から脱するためには、女にとって屈辱的な形で性交することが必要なのかもしれない。この種の男は結構いるので、男の基本的不能をどうにかしなければならない人類の性分化の一環として、女にとって性交は屈辱であるとする共同幻想が成立したのではないか。この種の男は女にとって性交は屈辱であると思いたいのである。そう思わないと、不能に陥るのである。

| 性的SM論 | 20:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログで媚びを売る

ブログの記事を書こうと思っていろいろ仕事中とか食事中とか女を縛っている最中とかいろいろ考えるのだが、その時は、あっ!これいいな!と思ってこれを書こうとしてもだな、いざPCの前に座ると哀しいか、ぜ~んぶ忘れちゃっているではないか。そういうことが結構ある。
今日も、確か朝のうちに、これを書こうと思っていた文章を夜になって酒を呑んで、飯喰って、PCの前に座ったら??なんだっけ。。。となってしまいましたよ。あーあ。。

で、今思いついたことだが、「ブログで媚びを売る」という事について書きましょう。

ブログを徘徊していて思うことは、よく記事の最後にランキングボタンを押して!とか、コメント下さい!とか書いてあるのを見ると、あーあ。媚びてるなぁと思ってしまうのです。
これって、俺なんかやりたくても出来ないんですよね。一応沽券があるから。

俺だって女性のブログにそう書いてあれば、義理でもボタンをポチッと押しちゃうけど、男野郎のブログに書いてあっても無視しちゃいますもんね。女性のブログでは一応義理で押しますけど、あー。。この人媚びてるなぁーとは思っちゃって、ちょっとがっかりしちゃいますね。
書いてある記事がかっこよければ良いほど、このお願いが挿入されているとそのギャップに苦笑してしまいます。S女王様のブログにこれがあるとがっかりを通り越して泣けて来ちゃったりします。

ということで、私もランキングに参加していますので、左側のボッチを押して下さいね。。そうでないとランキングの順位が上がりませんから。よろしくお願いいたします。ペコリ(結局やってんじゃん)
私も世間に媚びて生活しています。ごめんなさい。。。

| 鬼縄のつぶやき | 20:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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とにかく書くことだ。

ブログというものはなかなか書けないものだが、「怒り」や「嫉妬」というような反動的な衝動に駆られると結構すらすらと書けてしまうのである。
私の特質かもしれないが「肯定的」文章というのは苦手なのだが、怒りや妬みや嫉妬というような反動的というか反抗的文章というのは結構好きなのである。人がいいというと良くないと言いたくなるし、人が良くないというと、いいと言いたくなる性分なのである。一時コピーライターを目指したことがあるが、この性分が災いして断念させられた。コピーライターではなく、中傷専門のウラ政治記者を目指した方が良かったかもしれない。

で、文章というものはとにかくマス目を埋めろと教わったことがある。駄文であろうと、なんであろうと、最初は文章の完成度なんか気にしないでとにかくマス目を埋めろ。ボツになろうが、ぼろくそに言われようがとにかくマス目を埋めて提出しろと言われた。そう言うことを繰り返しているうちに1つぐらいはものになる文章が書けるものであるとね。そして1つものになる文章が書けると、不思議と2つ目が書けるものだと。

むかーし教わったこの教訓を思い出し、とにかく書いていればきっとアクセスも上がり、1つぐらいはいい文章が出来上がるかもしれない。

| 鬼縄のつぶやき | 21:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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