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2004.06.20 Sun
なぜ、私は女を縛るのか?
なぜ、人にSM嗜好が宿るのか?
この私の内なる疑問に、未だ答えを見出せないでいる。それが好きだから。それが私の性衝動を刺激するから。つまり女を縛り、責めることが私の性衝動なのだぐらいしか言えないのが本音である。
では、Mの女性も同じなのか。
SMを性の嗜好という面で捉えるのと、人間関係論として捉えるのとでは違うだろう。
私の場合はSMを性衝動の嗜好として捉えている。
「愛の表現」とか「信頼の証」という関係論的にはSMを捉えていない。私の場合、「愛」や「信頼」はまた違う次元の話なのである。嗜好の話と関係の話を混同してはこんがらがるだけだから。。
私は鞭や浣腸器は愛の表現には必要ないだろうと思っている。
では、なぜ性衝動をおこすのに縄や蝋燭が必要なのであろうか。。
ここに面白い説がある。
それは、
人間は本能が壊れている。という説だ。
当然、性本能も壊れているので本能によって正常な性交が出来ないということになる。つまり人間は基本的に不能であるということらしい。
人類が不能では滅亡するしかないことになる。そこで人間は幻想及び妄想を利用してこの不能による滅亡への道を回避する対策を講じる必要が生じたのだ。
つまり人間の「性」は幻想や妄想に支えられており、幻想や妄想は文化の産物なのである。
SMもその回避策の1つではなかろうか。
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| 性的SM論
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SM (人間関係論的な見方での)
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ちょと興味がある分野な「SM」
鬼縄のSM Blogはなかなか興味深い。
(管理人さんの意見が強く書かれている点で。)
私は人間関係論的な興味でこのサイトを見てるんですが、
実際プレイをしたいと思うことはないでしょうね。
・・プレイって・・・・
プレイ自体が「分か
女性にはいまだに性の抑圧がある。
男のようにはいかない。しかし女も男と同じなのに、男のように振舞えない。でもその抑圧こそがSMを支えているのも事実だ。
縛られて、無理矢理させられるという形は女に言い訳をもたらす。その言い訳が抑圧の呪縛から解放させてくれるのなら大いに利用すべきでしょう。。
女も男も同じなのである。
| 鬼縄のファン | 2004/06/21 00:34 | URL | ≫ EDIT